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№111「猫の乳歯」第3の歯
子猫を飼っている人の中には、カーペットの上に落ちていた飼い猫の乳歯を拾い集めた経験のある方もいらっしゃるのではないでしょうか?犬も猫も人間と同じようにまず乳歯が萌出し、次に永久歯に生え変わります。このように乳歯から永久歯へ一回だけ交換するシステムを二生歯性と呼びますが、哺乳類の大部分は二生歯性です。
大部分と言ったのは、哺乳類であっても、ネズミの上下の門歯やカバの犬歯と門歯のように一生伸び続ける歯もあり、これを一生歯性と呼びます。ネズミは四六時中、木や硬いドングリをかじり続けますが、これは体重に比較してたくさんの餌を食べ続けなければ体温を保てない高い代謝率(人間の30倍)の問題以外に、放置すれば歯がどんどん伸びてしまい餌をとれなくなってしまう事情もあるためと思われます。
歯は昆虫にはなく、進化の歴史上、脊椎動物になって初めて出現します。つまり魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類の大部分が歯を持っています。
歯はもともと魚の先祖の皮膚から発生した突起物と言われ、ヤツメウナギなどの無顎類と呼ばれる魚の始祖では甲皮の一部が石灰化して象牙質様の構造を持ち歯の機能を果しています。
現世魚類は軟骨魚類(軟骨魚階)と硬骨魚類(硬骨魚階)に分れ、サメやエイなどの軟骨魚類の歯は軟骨でできた顎骨の内側でつくられた同形歯が6列から20列並び、数日から一週間で次々と外側に並んでいる古い歯をエスカレーター式に回転しながら押し出して替わっていきます。
魚類の大部分を占める硬骨魚類の歯は石灰化した顎骨上に直接くっついていて、ヒトのように歯槽を持っていません。やはり損耗すると内側の歯に交換します。現世魚類の大部分を占める真骨類と呼ばれる魚では顎骨や歯の形が多様化し、円錐歯、犬歯、臼歯、門歯、癒合切歯、咽頭歯など機能別に分化しているものもあります。
鳥類は、その先祖と疑われるプロトエイブス(原始鳥)の化石では歯が観察されますが、現行の鳥類では歯が失われ、かわりに硬い嘴が歯の替わりに備わっています。
両生類のカエルには上顎の骨に直接連結した多数の歯が備わっており、下顎には歯がありません。ワニなど爬虫類の歯は円錐形をした同じ形(同形歯性)をした歯が骨に癒着して生えていて、ある程度使うと骨折して失われ、次々と別の歯に置き換わります。(多生歯性)
哺乳類の中でも最も特殊化した鯨類では、漸新世の初期までに絶滅した原鯨亜目では真獣類(ヒトのようにメスが胎盤を持つ生物)の基本歯式を持っているので、前歯と奥歯が上下顎骨に生えていましたが、歯鯨亜目(マッコウクジラやイルカ)になるとすべての歯が同じ形をした同形性、次々と生え変わる多形性を持つようになります。ちなみにイルカは200本の歯を持っているそうです。イルカは高度な知能を持った動物とされていますが、こと歯に関して言えば、私たち人間とはかなり異なる動物だと言えます。さらにヒゲ鯨亜目(シルナガスクジラなど)になると歯を持たず、口蓋にたくさんのクジラヒゲを持ち、プランクトンを濾して食べています。
ではなぜ人間を含む大部分の哺乳類の歯は乳歯と永久歯の二生歯性になったのでしょうか?これは言い方を変えれば、なぜ二生歯性の哺乳類が生き残ったのかということになります。
もともと歯の生え変わりの回数は、魚類で百回近く、ワニやヘビなどの爬虫類で25回くらい、大部分の哺乳類では2回になります。哺乳類でもアリクイやナマケモノ(貧歯類)、歯鯨、象などは乳歯列か永久歯列のどちらかだけが発達して残り、残りのシステムが消滅したものと推定されています。
Mammalia(哺乳類)の最大の特徴はメスが乳腺を持ち、母乳を分泌し、それを与えて乳児を育てることにあります。哺乳類が全部胎生かというとそうでもなく、獣亜綱は胎生ですが、カモナハシなどの原獣亜綱は卵から子供が生まれます。
昔、「卵で子供を産みたい」と言った女優がいますが、おそらく彼女も体内の胎盤で子供を育てて出産した筈です。
多くの哺乳類の生まれたばかりの乳児はか弱く、自立できない存在であり、親が庇護しなければ生きていくことができません。顎骨は小さくその小さな顎骨のサイズに合った大きさの乳歯が揃っていますが、成獣に比べれば捕食能力、攻撃能力、咀嚼能力は劣り、すぐには一人だけで生きていくことができません。
成長・発育していくにつれて顎骨が大きくなり、顎骨のサイズに合わせた大きな歯とよりたくさんの本数の永久歯に置き換わります。
しかし生まれてすぐに自分で捕食することを運命づけられている動物、例えばオットセイなどでは胎児の段階で乳歯列が永久歯列に置き換わってしまい、出生後早期に自分で餌をとることができるようになっています。
食べ物を噛む器官である歯は、身体の大きさに合わせたエネルギー摂取の必要性の変化に応じて、その大きさと本数が規則正しい萌出スケジュールにより管理されています。
個体発生は系統発生を繰り返すというヘッケルの説は一度否定されましたが、遺伝子研究の進歩に従い、最近一部が見直されているようです。
人間の場合、胎内にいる間はどちらかというと脊索動物段階、魚類、爬虫類、両生類、哺乳類に似た身体器官の形成と再配列を行なっているように見えます。実はヒトの遺伝子の中にも魚類や爬虫類の器官に共通した遺伝子があるのですが、ヒトが人の形をしているのは、それが発現していないだけという考え方もあります。
出世時にはまだ頭蓋骨の縫合はバラバラの状態で産道を通り抜け、顎骨内に乳歯の歯胚を内蔵した状態で生まれてきます。そして出世後も成長・発育のステージが変わる度に身体の大きさにふさわしい数と大きさの歯列システムに変態(?)していくわけです。
進化にしたがって脳の活動量、つまり酸素需要量が増加すれば、必要とする摂取エネルギーもそれにつれて増え、様々の種類の食べ物を捕食・咀嚼するために、歯の機能別分化も進みます。
人間の場合は生後、6ヶ月くらいで下顎乳中切歯から萌出し始め、3歳くらいで10本の乳歯列が完成します。6歳~7歳で第一大臼歯または中切歯から永久歯への交換が始まり、第2大臼歯が萌出するのが12歳ころ、智歯の萌出はかなり遅れて17歳~20歳で約半分の人に萌出しますが、歯肉や骨の中に埋もれたままになっている場合も多く、近年4本の親不知(智歯)がきちんと萌出して咬み合っている人のほうがめずらしいくらいです。
ヒトの場合、母性本能はあくまでも社会的な教育や経験により発生するものであり、生まれつきのものではないという説が支持されているようですが、他の哺乳動物の場合、共通して成獣からの攻撃を避けやすい顔の特徴があるのではないかという見方もあります。
つまり子猫も、子犬も、小猿も、人間も、乳児はおしなべて丸顔で鼻が低く、顎が小さいのが特徴になっています。このような顔の特徴が攻撃衝動を抑え、母親の乳児を庇護する本能を発動するキーになっているのではないでしょうか?
生まれた時から瓜実顔の赤ん坊というのもあまり可愛くありませんよね。
乳歯の持つもうひとつの大きな役割は、次の永久歯列を準備することにあります。哺乳瓶う蝕(離乳期を過ぎても長期間ジュース等を哺乳瓶で与えることにより起るむし歯)やランパントカリエスと呼ばれる重症のむし歯のために、早期に乳歯列が大きく損なわれると、後続する永久歯列の歯並びが乱れる原因になります。
小さな子猫の乳歯にも、連綿と続いてきた進化の謎が隠されているわけです。最近は抜歯した乳歯を保存するケースをいただける医院が増えています。脱落した全部の乳歯を保存しておいて、歯医者さんに頼むと全部の乳歯をきれいに並べた模型をつくってくれるかもしれません。
へその緒を懐紙に包んで保存する習慣がありますが、お子様の成人式や結婚式のときに、乳歯列の模型をプレゼントすれば、ヒトの親の愛情の深さを再確認していただけるのではないでしょうか?
哺乳類としての進化の歴史の選択と排除の結果、ヒトも二生歯性に属していますが、長寿命化により二生歯性では充分にその生涯をカバーできなくなってきています。
日本人の場合、直近の30年間に劇的な長寿命化を果たしています。縄文時代の平均寿命がおよそ12歳~16歳前後(30歳前後という説もある)だったのが、昭和30年には男性63.60才、女性67.75才、2007年には日本人の平均寿命は男性79.19歳、女性85.99歳に達しています。
しかし歯の寿命はそう簡単には伸びないために、身体全体の寿命と歯列の寿命の間の乖離が問題となってきます。その間隙を埋める可能性のあるものとして「第三の歯」、つまりインプラントがありますが、歯科医院に通院できなくなった方の場合など、長期的なメインテンスに未解決の問題があるものと思われます。
やがては人工的に作り出した歯胚を、手術で作り出した歯槽骨の中へ埋める時代が必ずくるものと思われますが、そのときでさえ咀嚼や嚥下に関わる神経筋機構の衰えにどう対処したらいいかという問題が残ってしまいます。
はたしてさらに遺伝子工学により「三生歯性」に人類を改造する時代はくるのでしょうか?
神様が予想していなかったところまで伸びたヒトの寿命にまつわる様々の問題は、神の怒りに触れたために瓦解してしまう伝説上のバベルの塔を思い起こさせます。
参考文献:「十二歯考 歯が語る十二支の動物誌」大泰司紀之 著 医歯薬出版株式会社
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