№116「青木一中野市長を追悼する」
本文へジャンプ 10月10日 
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        №116「青木一中野市長を追悼する」



 去る10月9日午前11時13分、中野市の青木一市長が急性呼吸不全にてご逝去されました。

9月に腹腔鏡による胆嚢摘出手術を受けられた後、予想外の意識喪失を起こされ、ご家族や関係者の懸命の介護にも拘らず、薬石効なく卒然として長逝され、あまりにも惜しい人を失うことに相成り、ご家族の方々のご心情をお察し申し上げますと筆舌に尽くしがたいものがあります。

また先生が一身を尽くされて、その家給人足を願い続けた中野市民の皆様の受けた驚きや悲しみも察し申し上げます。

ご存知のように先生は現役の歯科医師として地域社会の歯科医療に貢献され続けた私ども長野県歯科医師会の会員でもあり、日頃胸襟を開いて長野県歯科医師会の社会的使命や地域福祉の未来について語り合った仲間でもありました。

青木市長は2004年、旧中野市の市長選に立候補され、初当選。翌05年、豊田村との合併で誕生した新中野市の市長に無投票当選されました。

合併後の新市の将来像を「緑豊かなふるさと 文化が香る元気なまち」とし、新しい価値を創造し、市民一人ひとりの幸せを創るまちづくり、人とふるさとを愛し、仲良く暮らしていく力を育てるまちづくり、地域の個性を広げつつ、先人の知恵を継承発展させるまちづくりを標榜され全身全霊をかけて市政に邁進されていました。

青木先生は歯科医師としては暖かな人柄で誰にも分け隔てなく接し、地域の患者さんから絶大な信頼を得ていましたが、やはり中野市長であったご尊父の遺志を継ぎ、また周囲の方々の要請に応える形で、政治の世界にも挑戦された経緯があります。

豊富なアイディアと実行力、市民の幸福へ奉仕する行政マンとしての強い信念、バランスのとれた政治感覚を示され、その臨床と違わない手堅い市政を実行されて、これからの中野市の確かな未来に益々貢献するものと期待されていただけに、地域だけでなく、長野県全体の地方自治の損失であります。

いくら会者定離、生者必滅が世の定めとは言え、わずか60歳で走り抜けるがごとくその生涯を全うされた青木一先生のご冥福を心底よりお祈り申し上げ、ご遺族の方々のご多幸を祈念いたしましてお悔やみの言葉と替えさせていただきます。