№117「語りかけてくるもの」
本文へジャンプ 10月13日 
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        №117「語りかけてくるもの」と触媒国家





  人は自らが行なった行為により一時的な臭跡を世界の片隅に残し、そこには私達自身の小さな断片が刻み込まれています。

万里の長城には、古代や中世の皇帝たちの異民族に対する強い恐怖感や支配者としての万能感が示されていると同時に、圧制や理不尽な暴虐に苦しむ民衆の血と汗と怨念が沁みこんでいるように感じます。

フィンセント・ファン・ゴッホの一連の自画像には、弱く、しかし激しく鋭い彼の魂の懊悩が隠されているように感じますし、ニール・アームストロングが1969年7月21日に「静かの海(Sea of Tranquility)」に立てた合衆国国旗にはアメリカの覇者としてのプライドと達成感が込められています。

私達、歯科医師もせいぜい30年から40年間、患者さんのお口の中にわずかな痕跡を残すことになりますが、時折、前医の愛情や信念や哲学が読み取れる仕事に出会うことがあります。

何十年も前に行なわれた丁寧な根管充填や緊密に詰められた金箔充填、支台歯の寿命を伸ばすために考え抜かれた設計の金属床義歯、極限まで審美性を追及したレジン充填、そしてなによりも食生活や口腔衛生に対する患者さんへの信念に基づいた教育や指導の成果に出会う度に、地域の歯科医療を支えてきた先輩達の気迫や臨床哲学に大いに共感し、深く学ぶものがあります。

森林の中を通じる小道を辿るとき、そこには自分だけがいて、誰も行動を監視しているわけではありません。でも良いトレッカーはゴミが落ちていれば拾うか片付け、不法に植物を採取することもないし、樹木を傷つけたり、動物を威嚇したりすることもありません。

足跡だけの最小限の介入で、必要なだけの接触を行い、来たときの自然をそのまま残そうとします。自分にとって恥じることがない抑制された行動がありのままに自然を保全し、いつかまた訪れたときに、仲間や子孫に変わらない喜びを与えてくれることになります。

保険診療か保険外の歯科治療であるかにかかわらず、自分の内部にある歯科医師としての倫理基準や専門家としてのプライドに従い、納得のできる医療を行なうことが材料や技術に依存する歯科医療においては最も大切なことになります。

歯科医院の経営においては、本当は医療と経営とは分離することが理想的です。保険制度という国家が管理する社会福祉政策の内部で厳しい制約を受けながら治療を行うわけですから、「理想の歯科医療」を追求すればするほど、経営は破綻し、新しい技術の習得や優秀な人材の獲得ができなくなってしまいます。

ある意味、保険外診療は歯科医療の「必要悪」であり、本来なら良質な材料に支えられた優れた医療技術が、万人に対して保険診療で提供できる医療資源が供給されることが理想ではあります。

しかし急速に進行する少子高齢化のなかで日本というシステム自体が経年劣化を起して疲弊しているため、質の高い十分な医療や福祉を供給できる財政的な余裕が失われています。

この原因の一部は為政者や行政の責任かもしれませんが、どの国家にも寿命があり、日本が現在の社会構造の枠組みでは立ち行かなくなっているという事実を示しているのかもしれません。

このまま日本が太平洋の端に取り残された形骸としての老人列島になっていくのか、新しい創造力と機会(opportunity)に満ちたチャレンジングな場を提供する「触媒国家(Catalyst nation)」に生まれ変われるのか、福祉と経済との微妙な均衡を探りながら、国民全体へ奉仕する政治をつくりあげていかなくてはなりません。

次期衆院選が取沙汰されている昨今ですが、歯科医師会の今までの慣習としての政治履歴とは別に、私達の職能団体としてのエゴに偏することなく、近未来の社会福祉政策で連携できる有能な候補を選ぶことができたらと願っています。