№130「ネイルサロンの呪い」人体装飾と歯科医療

本文へジャンプ 12月14日 
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  №130「ネイルサロンの呪い」人体装飾と歯科医療


 


グスタフ・クリムト(※1)の一連の作品、例えば「接吻」や「ユディトⅠ」、「ダナエ」の画面には金箔を多用した豪華で華麗なモザイク装飾が施され、浮世絵のように平面的な画面構成の中に甘美なエロスと不安と恍惚に満ちた死のイメージが濃縮されています。
(※1:Gustav Klimt, 1862年7月14日 - 1918年2月6日)
(参照:http://www2.plala.or.jp/Donna/klimt.htm

様々の美の意匠の中には、夾雑物を徹底的に排除し、最小限の簡潔なイメージで本質を掴みとろうとする流儀や、反対にシンボライズされた紋様や呪術的装飾を積み重ねることにより、文明の底流に潜む祖霊とも言うべき情動を掘り起こす行き方が含まれています。

およそ化粧やピアス、人体加工・変形などの身体装飾の歴史は、都市国家の黎明期から続いていると言われ、紀元前6000年の遺跡から化粧用のパレットが発掘され、その中には鉛の入った白粉や硫化銀からつくられた頬紅、砒素を含む脱毛剤などが含まれていたそうですから、平均寿命が短い時代だったとは言え、まさに命をかけて美しさを追求していたようです。

「浦島太郎」は8世紀の『日本書紀』や『丹後国風土記』に初出しますが、蓋を開けると太郎が老人に変身する原因となった玉手箱はもともと、「玉匣」(たまくしげ)と呼ばれる化粧箱を意味し、化粧により別人に変わる寓意が籠められているのではと推察できます。

3世紀に陳寿により著された魏志倭人伝の中で、当時の倭人は「黥面文身 其衣横幅但結束 穿其中央貫頭衣」、つまり顔に刺青を施し、朱丹(朱は辰砂、つまり硫化水銀の赤、丹は赤土、つまり酸化鉄・ベンガラの赤)を身体に塗り、貫頭衣を着ていると描かれています。

皮膚に様々の文様の色素を入れたり、刻み込んだり、加工・変形したりする身体装飾はエジプトを含むアフリカ諸国や南洋の島々、ゲルマンやケルト諸族など古代から世界中に普及しており、縄文人の風習的抜歯やヤスリで削る「叉状研歯」、江戸時代の鉄漿(おはぐろ)、エチオピアのムルシ族の皿唇、ミャンマーやタイの首長族、プレ・インカやメソアメリカの頭蓋変形、中国の纏足(てんそく)や欧米のコルセットやステイズなど、様々なインパクトのある肉体改造・人体装飾が昔から繰り返されてきました。

これらは成人儀礼や既婚証明、社会的な地位や区別、職業等を表わすシンボルとして行なわれるほか、儀式や演劇では類型化されたメッセージを伝え、戦闘に際しては戦士に呪力と昂揚感を与え、あるいは忌諱すべき流人や罪人の印としても利用されてきました。

身体装飾を行なうことにより、今までの自分とは違う別の自分に変身することができ、通常では得られない魂の高揚感や隠された能力の発現、研ぎすまされた集中力、高いパフォーマンスなどを得ることができます。

考えてみれば、現代人も、身体のあちこちに穴を開けたり、顎骨や鼻骨を削ったり、目の色を変えたり、エクステンションをつけたり、茶髪にしたり、胸にシリコンを入れたり、コラーゲンを注入したり、タトューを入れたり、筋肉増強剤を飲んだり、ネイルアートを楽しんだり、日焼けサロンに通ったりして、架空の自分を演出して自信と安心を手に入れようとしています。

歯科医療には病気で失われるか障害された、形や機能を改善する側面と、本来の自分以外の存在に変身するための身体装飾の側面が微妙に混ざっていています。

人間離れした白さにまで脱色するホワイトニング、もともと形態的・機能的に欠陥がない歯へのラミネートベニアやオールセラミッククラウン、単に美容のための下顎骨顎角部削除などはどちらかというと医療の範疇からは逸脱し、「呪術的装飾」の意味がこめられているかもしれません。



そうかと言って、「呪術的装飾」にまったく意味がないわけでなく、人が身体装飾することによって、トータルな意味で、より良い自分を引き出し、新しいチャンスと幸せを掴むことができるならば、歯科医療の裾野の一部がそれに手を貸すこともありうる選択かとも思います。

実際、信じがたいことですが、世界には健康な前歯のエナメル質を削って、そこに宝石や貴石を埋め込む装飾のお手伝いをしている同業者さえいるようです。(日本にはいないものと信じたいですが)

しかし、時代遅れかもしれませんが、私が今まで目指してきたものは、やはり患者さんの健康を守る本来の狭義の医療の中にあり、ネイルアーチストや美顔術の専門家になる勇気は今のところ持ち合わせていません。