2014年12月15日更新
     154 「美ヶ原ロングトレイルを歩く VOL2」 

「美ヶ原ロングトレイルを歩く」vol2 窪田裕一 


秋も深まり、台上を歩いていた牛達は、昨日、トラックに乗せられて、麓の村に帰っていきました。今はどこか花の香りが残る高原の夜を、鹿の群れが自由に渉猟しています。
バスの窓から子供たちが照らすスターライトに照らされて、いくつもの目が暗闇で光っています。
「ほら、また騒がしくて胡乱(うろん)な連中が来たよ。」
「近寄るんじゃないよ。シシ岳のカクネ里の叔母さんみたいに手袋にされてしまうよ。」
立派な角のリーダーが人間を見張っています。

古代北方民族がオホーツク経由で鹿を日本にもたらしたという説があります。鹿は航海時の蛋白源として舟に積まれたのでしょう。

野生動物にはむし歯がないと言われていますが、蜂蜜が大好きな熊や、果物を食べている象からはむし歯がみつかっています。寒い高原で牧草の余りを食べている鹿にはむし歯があるのでしょうか?奈良公園で鹿せんべいをもらう鹿にはむし歯はできないのでしょうか?万城目学の「鹿男あをによし」にポッキーを食べる鹿が出てきますが、鹿の健康を考えるなら与えてはいけません。「ふるさと館」から発着する見学バスの座席に身をうずめながら、流れ星を見つけてはしゃぐ子供たちの声を聞きつつ、ぼんやりと取り留めのないことを考えていました。

去る2014年10月12日と13日の両日、MOCの懲りない面々3名と、兵庫県の明石からゲスト参加されたIM先生とで「美ヶ原ロングトレイル第2区」に参加してきました。

前回は、牛伏寺からフランス式階段流路に沿って鉢伏山へ登り、鉢伏山から二つ山、二つ山からビーナスラインの三峰山、三峰山から扉峠までの、ちょっとハードな第一区に挑戦しました。
まるで湖南省の郵便配達夫のように、ただひたすら灌木の中を歩いた記憶があります。
「山の郵便配達」は1999年に製作された映画で、フォン・ジェンチーが監督し、引退する山岳地域の郵便配達人が息子に仕事を引き継ぐために、最後の郵便配達を行う話です。原作が大木康訳で集英社から上梓されているので、興味のある方は読んでみてください。自分の職業倫理に忠実に生きる誇りと信念を持った市井の人が描かれています。少数山岳民族に手紙を届けるために、目が眩むような険路を毎日歩き続ける姿が印象的でした。

扉峠から三才山の一之瀬までの第2区は、4分割されたコースの中で、もっとも観光化されたおなじみのコースです。扉峠のバス停脇から登り始め、1時間半ほどで茶臼山に着きます。茶臼山の手前右側の崖には、大きな白い岩がそびえています。これは天照大神が天岩戸にお隠れになった折、アメノタヂカラオが引きはがした岩戸が飛び、その一部が扉峠と戸隠に落ちたと伝えられるものです。茶臼山から牧場を横切って美ヶ原の南側外縁に沿って、王ヶ頭へ、王ヶ頭から山本小屋の別館である「ふるさと館」までは牧柵の間を歩き、ここに宿泊しました。翌朝は思い出の丘から武石峠を通り、烏帽子岩から一ノ瀬駐車場が本来のコースです。しかし今回は台風19号の影響で、明石への列車が不通になる可能性があったため、武石峠から一ノ瀬までの区間を次回に先送りしました。自宅からアルプス公園経由で芥子坊主山に登るのと変わらない距離になり、「ふるさと館」の食事がおいしくて、帰宅したら却って体重が増えていたのが少し哀しい。

このコースの90%から中部山岳地帯を代表する宝の山々を眺めることができます。槍や穂高や鹿島槍、この前、悲惨な噴火災害があったばかりの御嶽はジャックと豆の木のように天空に繋がるガスを吐きだし続け、木曽駒や空木岳、ぼんやりと霞んで富士山、雄々しい八ヶ岳・赤岳、天狗岳、蓼科山、奥秩父の山に浅間山、猫岳や四阿山、北信五岳と、すばらしいパノラマとおおらかでマグニフィセントな空間が待ち構えています。

帰路、IY先生においしいお蕎麦とお風呂をごちそうになり、すっかり恐縮したり、感謝したりの秋の両日でした。
最後にMOCは常に新規会員に対して『対話の扉が開かれている』ことを付け加えて、今回の御報告とさせていただきます。