№52 歯科診療室における舌診 その2 |
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○ 舌診の目的: 歯科診療室内で舌診を行なう目的は大きく分けて三つあります。 1. 主に上部消化管の状態を知る。 2. 表裏、寒熱、気血水の虚実などという弁証(診断)を行なう。 3. 《舌態》(舌の動き)から中枢性の麻痺、筋萎縮症の有無などを知る。(歯科診療の場合、本来の舌診には含まれませんが、舌の運動可動範囲を知ることが臨床上大切です。すなわち開口時の舌尖端の可動範囲が狭ければ、舌小帯硬直症などによる低位舌であり、上顎前突の原因の一つになっている可能性があります。) 同じ歯周病治療でも、仕事に追い詰められ、家庭的にも様々の問題に苦しめられているメタボ中年の歯周病と、スポーツドリンクやお菓子の取りすぎでアトピー性体質の若年者の歯肉炎ではアプローチが異なってきます。 妊娠中に起こる歯周病の悪化に対する治療と老年期に次第に身体の抵抗力が失われてきた方の歯周病治療では、やはり治療の目的と方法、患者さんへの食事や生活習慣指導の内容を変える必要があります。 保険診療で同じコード番号で収載されている歯周疾患でも、患者さんの年齢、性別、全身状態、基礎疾患、ストレスマネージメント能力、社会的環境、生活習慣などにより、様々の様相と展開を見せるのが、実際の臨床であり、本当の意味で患者さんを治し、新たな疾病を予防するためには、その患者さんの表層に現れている疾患の下部構造を成す、根本的な複合要因を解き明かしていく作業が必要になってきます。 前回述べました望診・聞診・問診・切診、すなわち四診(ししん)により、患者さんの証を診断し、全体像を把握することは、包括的に患者さんの全体像を捉える上で役に立ちます。 (歯科診療室で行なう四診は、従来の歯科医学的な方法論と折衷したものになります。例えば切診には筋の触診や顎関節の触診が含まれると考えますし、問診には精神科領域で用いられる各種のカウンセリング技法が含まれると考えています。) ○東洋医学の基本的な概念:気血水、陰陽、虚実、寒熱、表裏、五臓、六病位など(「歯科医師・歯科衛生士のための舌診入門 新しい歯科医療の展開」柿木保明・西原達次 著 ㈱HYORON ページ46~53 『東洋医学の体系と舌診』後藤博三、寺澤捷年を参照、引用) (1) 気血水 ① 気(き):生命活動を営む根源的なエネルギー。 気虚:気の量が不足している状態。生命体の活力の低下。 気鬱:気の循環に停滞をきたした状態。 気逆:気の循環の失調した状態。 気虚について一例を挙げてみますと、 * 気虚の診断基準 判断基準:総合点が30点以上を気虚とします。程度の軽い症状は1/2加算します。アトニーは胃下垂や腎下垂、子宮脱、脱肛などを指し、トーヌスは緊張を意味しています。 ※気鬱の診断基準 ※気逆の診断基準 ② 血(けつ):身体の物質的な側面を支える赤色の液体で西洋医学の血液と完全には同一でありません。生体の構造を維持します。 血虚:血の量に不足を生じた病態。 瘀血 (おけつ):血の流通に障害をきたした病態。 ※血虚の診断基準 ※瘀血 の診断基準 21点以上が瘀血状態。40点以上は重症の瘀血状態。右季肋部は右上腹部、左季肋部は左上腹部で左右の間に心窩部を挟む。S状部はS状結腸部(左腸骨窩にあって不規則なS状弯曲を示し、第3仙椎上縁の高さで直腸に移行する。結腸間膜を持ち可動性に富み、したがってS状結腸の位置は各個人によって異なり、また同一人においても変化する。) ③ 水(すい):身体の物質的な側面を支える無色の液体。この水が偏在した状態を水滞または水毒と言います。 ※水滞の診断基準 グル音:腸管蠕動亢進による雑音 朝のこわばり:朝起きた時の手の関節がこわばった様な感じ 総計13点以上が水滞 (2) 陰陽:「陰陽論」では陽気が過剰となり、体内の陰気がこれを制御できなくなると、火照ったりのぼせたりすると考えます。この状態を隠虚と呼び、五臓の障害から隠虚が起こるとされています。 逆に陽気が不足すると、冷えが生じ、この状態を陽虚と呼びます。陽虚では、疲れやすく、無力感を覚え、自汗気味になります。 (自汗:暑さ、寒さに関係なく、少し動いただけで発汗する汗。) ※陰陽の診断基準 群、B群すべての総計が+35点以上を陽の病態、-35点以下を陰の病態とする。程度の軽いものは当該スコアの1/2を与える。・で列挙された症状はいずれか一つが該当すればよい。 ※1胸脇苦満(きょうきょうくまん):季肋(きろく)部(肋骨の最下部)付近に重苦しい感じを覚えるか、そこを触れると硬くて、指を押し込むと苦しい感じを覚える所見。 ※2渋脈(じゅうみゃく):小刀で竹を削るような脈。血管の弾力性が失われ、滑らかでない細くざらざらした脈。 ※3遅脈(ちみゃく):一分間60回以下の遅い脈。 (3) 虚実 (4) 寒熱 (5) 表裏 (6) 五臓 (7) 六病位 (3)~(7)についての説明は割愛します。 (「歯科医師・歯科衛生士のための舌診入門 新しい歯科医療の展開」柿木保明・西原達次 著 ㈱HYORON ページ126 図1を改変して引用) ○ 体質と歯科疾患の関係 (「歯科医師・歯科衛生士のための舌診入門 新しい歯科医療の展開」柿木保明・西原達次 著 ㈱HYORON ページ126 図1を改変して引用) ○ 左上臼歯部の鈍い痛みを主訴に来院された47歳男性(証券会社勤務) 患者さんは高血圧と軽い糖尿病に罹患していて、数年前から強い精神的なストレスを自覚し、焦燥感と突発的な怒り発作をコントロールできない状態が続いています。 舌は胖大舌(大きく膨らんだ状態)で、表面には裂紋(亀裂)が観察され、尖った形の白膩苔が覆っています。舌の側縁には明らかな圧痕が生じています。口唇はヒビ割れています。 • 舌が腫れぼったい状態(胖大)で歯痕がある場合は、細胞内外に水分が貯留することで、体液が停滞し舌体を満たしている状態。汗をかきやすい。水分代謝低下で唾液の粘性が亢進していることが多い。 • 胖大でない歯に歯痕がある場合は、ストレスや緊張で舌を歯に強く押し当てる習慣があることが多く、舌の緊張が強い場合にも生じます。 • 歯痕の歯科的意義:唾液の粘性が亢進している場合に、唾液分泌低下や口が渇きやすい症状があると、自浄作用の低下が見られ、歯根部の齲蝕や歯周炎の発症に気をつける。 • またストレスが考えられる場合には、顎周囲筋の緊張が亢進していたり、歯肉の抵抗力低下、感染に対する局所免疫低下等もあり、アフタや顎関節症などがみられやすい。 この患者さんへの生活指導:ストレスコーピングレパートリーとしてマインドフルネス瞑想法を紹介し、仕事量を可能な範囲でコントロールする必要性について説明しました。 • 脂っこいものや甘いもの、酒量を減らして、植物性食品やビタミンを多く摂るようにする。 • エネルギーをうまく使い、汗を出すために軽い運動を続ける。 • 充分な休養と睡眠をとりストレスを溜めないようにする。 • 一日5分~10分間、マインドフルネス瞑想法を行なう。 • 基本的に体を温める食物を中心にした食生活にする。 • むし歯や歯周病に対する注意を怠らない。 • →フッ素すすぎ、歯垢染色剤、定期的な歯石除去、甘味制限等。 • 仕事場に大き目の鏡を置き、怒り発作に襲われたら、とりあえず鏡で自分の姿をみつめ深呼吸をしてから怒るようにする。 左上の鈍痛の原因としては、喰いしばりや噛みしめの影響が疑われましたので、咬み合わせの調整を十分に行なった後、日中仕事に集中しているときに、噛みしめが起きていないかどうか自己チェックする方法と、ガムやスルメなど歯周組織に負担の加わる食品を避けるように指導しました。 2ヶ月間スプリント療法を行い、通勤時毎日約3kmを歩くように行動変容した結果、2ヵ月後には噛みしめ時の痛みがなくなり、血圧や血糖値にも改善傾向が得られました。怒りの発作を覚える回数も本人の言では、減っているそうです。 患者さんは4年ほど経過した現在も定期検診に通われていますが、経過は良好で、関係があるかどうか不明ですが、ゴルフのスコアも良くなったと喜んでいます。 ※ 舌下静脈の怒張例 参考文献: 1.「舌診アトラス手帳」松本克彦・寇華勝 編著 メディカルユーコン 2.「歯科医師・歯科衛生士のための舌診入門 新しい歯科医療の展開」柿木保明・西原達次 著 ㈱HYORON 3.「漢方医学入門 “治せる”医師をめざす 医学生、研修医のためのやさしい漢方医学実践」後山尚久 著 診断と治療社 |