62 You'd Be So Nice To Come Home to
本文へジャンプ 4月28日 



 邦題は「帰ってくれたらうれしいわ」ですが、これだと嫌な客を追い返す歌になってしまうかもしれません。

実際は、コール・ポーターが1943年の映画「Something to Shout About」のために作詞・作曲した名曲で、戦地にいる兵士が、故郷に残してきた妻や恋人を偲ぶ内容ですから「故郷にあなたが居れば素敵」と言ったところでしょうか。

ヘレン・メリルの名唱が有名ですが、他にもアート・ペッパーの『Art Pepper meets The Rhythm Section+1』の軽快な名演、チェット・ベーカーのクールでどこか突き抜けた感じのある演奏(『CHET』)など、数々の愛聴アルバムが存在します。

(お勧めはSharon Clarkのスキャット。⇒http://www.youtube.com/watch?v=tO6XsQEJius&feature=related )

患者さんにとって、「You'd Be So Nice」な歯科医院とはなんでしょうか?

最先端の医療技術で安全・安心な医療を受けられることはもちろん大切ですが、歯の調子が良くても悪くても、なんとなくその医院の先生やスタッフの顔を見ればほっとするような歯科医療機関があるものと思います。

親身になって自分の健康のことを心配してくれる歯科医師、ひとつひとつの言葉や仕草に温かい気持ちや優しい気遣いが感じられる歯科衛生士や受付、このような歯科医院に出会うと、自然に心がリラックスし、緊張や不安を感じることなく治療を受けることができ、診療室にいる時間が心も身体も癒されるプレミアムタイムになってしまいます。

昔は、とにかく腕が良ければいい、「俺の腕が分らない患者は来なくてもいい」、「愛想と口ばかりうまくても、治す力がなければ意味がない」など、刀匠や昔気質の職人のような考え方をする先生が多かったように思いますが、最近は歯科医院がコンビニの数よりも多くなったせいか、一流ホテルも顔負けの「患者受けのいい」医院を目指す動きが盛んになっています。

「先進国」か、否かの違いはその国の国民が日常的に受けられる各種「サービス」の多様性とその質の高さにあると言われています。

歯科医療自体の安全性や質がしっかりと確保されていることはあたりまえで、その上に最高のサービスが受けられることが要求されているわけです。

でもしかし、誤解を恐れずに言えば、本当にそんなことが可能なことなのでしょうか?

この世の中のあらゆるサービスは労働対価を必要とします。「笑顔」や「優しさ」にも値段がついていることはマクドナルドを見ても分りますし、上質なサービスは顧客満足度を上げるために厳しい企業努力により消費者に提供されているのが実態です。

人間には溜め込むストレスに限界がありますから、自発的に心の中から湧いてくる笑顔以外は職業的に誂えられた人工的な笑顔になります。典型的な例が客室乗務員(キャビンアテンダント)の笑顔で、彼女たちはすばらしいマナーと笑顔で快いサービスを提供していますが、それらは感情労働(Emotional Labor)の賜物であることは以前解説しました。

どんなにすぐれたCAでも24時間、お客様向けの笑顔で過ごせるわけがなく、仕事が終わればパブで素の顔に戻ります。

すばらしい顧客サービスで上質な時間を提供する超高級ホテルが国内でも数々設立されるようになってきました。固有名詞は避けますが、先日、さる業界紙に掲載されていた某超高級ホテルの経営者の話を興味深く読みました。

曰く『私達のホテルの顧客は日本の人口の1%だけをターゲットとして考えております。』、つまり標準的な一人部屋の価格が一泊7万円以上もするホテルは、最初から国民の99%を相手にしていないのです。

多くの人に来てもらって、数をこなすことにより利益をあげるのではなく、少数の高額所得者だけを対象として、最高級のサービスを提供することにより、一泊あたりの単価を上げて全体の利益を得る方法です。リーズナブルな軽自動車を100台売るよりも、数億円する超高級者を一台売るほうがはるかに効率よく稼ぐことができるという考え方です。

歯科治療においても、特定の階層のみを対象とする超高級サービスを志向する医療機関が増えてきました。

医院を受診すれば、ゴージャスな美人が満面の笑顔で迎えてくれますが、彼女は歯科衛生士や受付ではありません。コンシェルジェといって、ホテルと同じように、その患者さんに最初から最後まで付き添ってくれて、医院のシステムを案内したり、担当歯科医師を紹介したり、患者さんの悩みを親身になって聞いてくれます。

その患者さん専用の待合室に案内されれば、静かに中世のハープシコードが生演奏され、好みに合わせた紅茶やワインが提供されます。室内には美しい生花や本物の美術工芸品が飾られ、さりげなくDrの著作物や学会活動を説明する資料が置かれています。

心地よいアロマと年代物のペルシャ絨毯、アンティークに囲まれた空間は診療室というよりはホテルのスウィートルームです。

そこで提供される歯科診療は、最低でも数百万円クラスのものばかり、通院される患者さんもいわゆるセレブ(celebrity)でリッチな皆さんばかりです。

ニーズに応えるのがサービスですから、このような高級志向の歯科医療があっても、それはそれでいいことだと思います。業界的にはマーケットの拡大につながるのでおおいに結構なことでもあります。しかしたいていの国民が学校給食のような必要最小限度の保険内診療で満足せざるをえない我国の現状において、歯科医療の現場でも進行しつつある二極化現象は、この国の将来に対しある意味で象徴的なものを示していると近頃考えています。

心の中から湧き出る本当の笑顔や生まれついての思いやりの心に値段はありません。スタッフのやる気も笑顔も、患者さんとの相互関係で決まるものです。

よい歯科医師にはよい患者さんが集まりますが、よい患者さんは良い医療関係者を育てます。おたがいに自分が「顧客」だ、「医療を施しているのだ」などとふんぞりかえるのではなく、すこしずつの気遣いでリーズナブルだけれど心地よい空間と時間をお互いにつくりだしていこうではありませんか?

最近、増えている院内暴力(横柄な対応に怒った患者さんが医師を刃物で刺すなど)を耳にするにつけ、本当の医療サービスとは何なのか、あらためて考えなおしています。