bU8 「難治性の歯周病とは何か?」 |
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臨床の現場では、通常の歯周病治療、つまりプラークコントロール(歯磨きによる歯垢除去)、スケーリング(スケーラー等の専用器具による歯石の除去)、ルートプレーニング(歯根の表面の柔らかくなったセメント質や象牙質を除去し表面をきれいにする)、歯周外科手術、咬み合わせの調整を行なっても、段階的に進行していく歯槽骨の破壊を止めることができない患者さんに出会います。 この場合、歯科医師の診断や治療方法が誤っていたために「うまく治せない」のか、現在の歯周病治療のコンセンサスに従って治療しても、「治療に反応しない」のか、あるいは治癒したと判断しても本当は「治っていない」場合の、三つのケースが考えられます。 「うまく治せない」場合は本当の意味での難治性とは言えず、術者や診断や治療方法、医療機関を変更することにより解決する場合があります。 次に「治療に反応しない」ケースは、誰が治療しても治らないか病状の安定が得られないわけで、しかも治療に反応しない理由が分らないか、判明していても打つ手がない場合に該当します。 「難治性歯周病など存在しない。自分はすべての歯周病を治してみせる。」と自信と実績をお持ちになっている諸兄もたくさんいらっしゃることと思います。是非そのような名医には教えを請いたいものと常に努力していますが、いまだに歯槽骨吸収が徐々に進行していく重症の歯周病の患者さんへの対応に苦慮しているのが当院の実情です。 一見、炎症のコントロールに成功し、患者さんの口腔衛生も改善され、歯周病が「治癒」したのではないかと思われても、定期健診に来院されると4mm以上の深いポケットが再発し、歯の動揺が増しているケースによく遭遇します。このような場合、本当は「治っていなかった」のではないかと疑うことになります。 この場合、何をもって「治癒」と判定するのかがまた問題になります。歯肉の腫れや発赤、深い歯周ポケット、歯の動揺が改善されても、失われた歯槽骨は元通りになることはむつかしく、歯肉が退縮し、歯と歯の間の隙間が大きくなった形で不完全治癒(瘢痕修復)します。発音障害や審美障害、清掃困難な隣接面空隙が残り、患者さんの完全な満足を得ることはできません。 歯周病の理想的な治癒形態は再生であり、失われ破壊された歯槽骨、歯根膜、セメント質、上皮が再生することが理想です。しかしこれは実際には死者を墓場から甦らせるようなもので、ポケット内に露出している細菌が付着した感染歯根面に新生セメント質が形成され、歯根膜線維(シャーピー線維)が新生セメント質に嵌入する繊維性付着が新たに起きなければなりません。臨床的には条件の限られた場合にのみ、歯周組織の再生を得ることはできるでしょうが、現時点では、重度に進行した歯周病において、周囲の歯周組織を大きく破壊された歯が萌出時の状態に戻ることはありません。 したがって歯周病の臨床的な治癒は、一般には次のような条件で判定されています。 (「歯周病診断のストラテジー」P138を参照・改変) ○ 歯周炎の治癒についての臨床的な基準 1. プローブング時の出血がない。(プローブという専用の細い物差しで歯と歯肉の間の隙間、つまり健康な場合は歯肉溝、歯周病の場合は歯周ポケットと呼ばれる溝の深さを計測することをプロービングと呼んでいます。溝の深さを測るとともに、歯石の沈着状態、歯肉からの出血、歯根面の形態などを知る目的で行ないます。) 2. 歯周ポケットの深さが3mm以内である。(ポケットが浅ければ嫌気性細菌が棲息しにくくなります。) 3. アタッチメントゲインが1mm以上あること。(計測した歯周ポケットの深さが浅くなることをアタッチメントゲインと呼んでいます。) 4. レントゲン写真で歯槽硬線が明瞭になること。(歯槽骨に炎症がなく、安定した骨代謝が行なわれていると歯槽骨の表面の皮質骨のミネラル含有量が増大するために縁が白く見えます。この歯槽骨の表面の白い線を歯槽硬線と呼んでいます。 歯周病の進行に伴い、歯周病は歯周炎、つまり細菌感染症としての側面の他に、咬合性外傷が合併し、これに加齢という時間軸が加わると「歯周-咬合コンプレックスPOC:periodontal-occlusal complex」と呼ばれる状態に陥ります。 POCは@歯周的要因 A咬合要因(外傷性咬合)B咬合不調和(歯ぎしりなどの悪習慣)C時間的要因(加齢など)の原因が複合して起こる複雑な歯周病と咬合性外傷の合併症を意味します。(「歯周病診断のストラテジー」P48を参照) ここで咬合性外傷とは歯の負担能力を超えた力が加わったときに、歯周組織(歯根膜、歯槽骨、歯肉)に損傷が生じることを言います。 つまり歯を支える歯槽骨が少なくなれば、咬み合わせの力を負担する能力が衰え、歯周病の進行により歯を失えば、残った歯に加わる力は益々過大なものになっていきます。それまで噛めていたお煎餅やスルメなどの食べ物を咬むと、痛くて噛めなくなります。 このとき、歯の周りを包んでいる歯根膜は圧迫され、その血流は鬱滞し、歯根膜線維は引き伸ばされ、歯槽骨は破壊され、歯と歯槽骨の間の隙間が大きくなります。(=歯根膜腔の拡大) 競走馬が一本の足を怪我すると、反対側の脚を上げることができなくなり、蹄葉炎、つまり蹄の血行障害による組織崩壊のために再起不能になり、薬殺処分になるように、重症化した歯周病のために、歯が失われていくと、残りの歯への負担が大きくなり残存歯の喪失につながります。 ある本数以上の歯を失ったとき、または咬み合わせのアンバランスを招くような歯の失い方をした場合、臨界値のようなものがあり、その一線を越えると歯の喪失が急激に加速されます。 歯を失うとよく噛めませんから、ブリッジや義歯を装着することになりますが、特に義歯のバネ(クラスプ)のかかる歯には過大な力が加わるために、義歯が緩徐な抜歯鉗子として働いてしまい、バネのかかっている歯の歯槽骨吸収が進み失う原因になります。ブリッジでもやはり土台となる歯には本来その歯が負担する以上の力が加わります。 全身や局所の状態が良ければ、歯を失った欠損部へはインプラントを埋入して、隣接歯の負担を軽くしてあげるのが第一選択肢であると言えます。バネのかかる歯や土台となる歯に過剰な負担が集中する義歯やブリッジはできるだけ避けるほうが歯列全体の劣化を防ぎやすくなります。 ただしインプラントは決して万能ではなく、保険内では治療できないために、高額な医療費が生じることや口腔衛生状態が悪いと、インプラント周囲炎を起こし脱落するリスクがあり、手術において神経損傷や上顎洞穿孔などを起す可能性があることも理解された上で、あくまで患者さんが主体的に選択するオプショナルな治療法になります。 また咀嚼時の歯の痛みが発現すると、顎の動きが痛みのある咬み合わせを避けるようになるため、回避性顎運動と言う不自然な動きをするようになり、咬み合わせのバランスが崩れ、咬合性外傷や顎関節・咀嚼筋群へのダメージの蓄積が起きやすくなります。 ○ 咬合性外傷の治癒についての臨床的基準 1. レントゲン写真での歯根膜腔の幅の縮小 2. 歯の動揺の減少 《歯周病が再発する原因》 もともと歯周病は一次関数的に時間経過と共に徐々に進行するのではなく、安静期を挟んで、間欠泉が噴出するようにバースト(急性発作)を繰りかえしながら歯槽骨の破壊・吸収を段階的に悪化させていきます。 1.残存する深い歯周ポケット: 手を尽くして歯周病治療を行っても深い歯周ポケットが残ったままでメンテンスに入ることがあります。 深い歯周ポケットの内部は酸素のない環境になるため、嫌気性細菌、つまり歯周病菌が増殖しやすい環境が残っていることになります。歯茎につく歯垢(歯肉縁上プラーク)を徹底的に排除するとともに、ポケット内の清掃(ポケットクリーナーやデントールブラシなど)を行い、定期的にテトラサイクリンなどの抗菌剤をポケット内に注入するなどして、ポケット内に歯周病原細菌が棲息しないようにする必要があります。 2.歯周病のリスクファクター: リスクファクターとは歯周炎にかかりやすくし、その進行を促進する因子を指しますが、@細菌性因子 A生体応答に関する因子 B環境因子に分類できます。 @細菌性因子:歯周病はある一種類の口腔内細菌により起こる病気ではなく、いくつかの種類の細菌が関与する複合感染症である点が、結核や腸チフスと異なる点です。 重症歯周病の成立に関して、特にAa菌、Bf菌、Pg菌が注目されています。これらの3菌種の感染した場合、歯と歯肉の間の溝付近にバイオフィルムと呼ばれる耐水性のあるゼラチン状の蛋白質を形成し、歯周組織の破壊が促進されます。 Aa菌:アクチノバシラス・アクチノミセテムコミタンスActinobacillus actinomycetemcomitans Bf 菌:バクテロイデス・フォーサイサス Bacteroides forsythus Pg菌:ポルフィロモナス・ジンジバリスPorphyromonas gingivalis この他にも、トレポネーマ・デンティコーラ(Treponema denticola)、カンピロバクター・レクタス(Campylobacter rectus)などがポケット内に存在すると、歯周組織の破壊が進むことが分かっています。 歯周病治療の成功は第一にこれらの歯周病原細菌群を徹底的に排除することから始まります。通院中は熱心にプラークコントロールを行なっても、メンテンス期間に入ったとたんに歯垢が溜まるようになれば当然歯周病は悪化していきます。 A生体応答に関する因子:免疫を司る白血球やマクロファージ、リンパ球、サイトカインの産生量などの遺伝子タイプの違いにより、生まれつき歯周病の進みやすい人がいることが分っていますが、遺伝子治療が実用化されないかぎり、このリスクファクターを排除することはできません。ただし、予め歯周病にかかりやすいタイプかどうかを発症前診断することにより、早期に効果的な予防プログラムへ参加することができます。また体質別に必要な予防治療の密度を変えることが可能になり、総体的に医療費の効率運用を行なうことができます。 B環境因子:歯周病の発症や進行に影響与える環境因子としては、喫煙、ストレス、不規則な生活、好ましくない食生活、加齢、閉経、予備力の低下、基礎疾患(糖尿病、高血圧、肥満、腎・肝疾患、骨粗鬆症、がん、口腔乾燥症など)、薬物(カルシウム拮抗剤、抗てんかん薬、免疫抑制剤、抗コリン作用薬など)不正咬合、睡眠障害、ブラキシズムなどの悪習癖などがあります。 仕事に疲れ果てた中高年喫煙者の歯周病は治りにくく、特に就寝前に晩酌習慣がある方や、日中ドリンク剤や過剰なチューインガム噛み、スポーツドリンクの過剰摂取などがあると歯周病が再発しやすくなります。 ある本数以上すでに歯を失い、自然な歯列弓(歯並び=デンタルアーチ)が崩れている場合は急速に歯牙の喪失が進みます。歯並びが悪い方では、よく磨けない、過剰な力が特定の歯に加わる、唇が閉じないために、口腔内が乾燥しやすいなどの理由で歯周病が進みます。 通院中は禁煙していた人が、メンテナンス中に喫煙を再開していたり、眠気防止のために、歯牙支持組織が少なくなっているのに、一日中チューインガムを噛むことにより歯の動揺が増すようなケースで、歯周病が重症化する例によく遭遇します。 以上のような様々な理由で治りにくい歯周病、いわゆる難治性歯周病が存在するものと思われますが、最近、歯周病を別の視点から捉えた興味深い仮説が表れています。 ○ 歯周病は自己免疫疾患?(「歯周病診断のストラテジー」P172を参照・改変) 歯周病は歯周病菌による感染症ですが、大量のプラークが付着しても、歯周組織の破壊がほとんど認められない人もいれば、丁寧にプラークコントロールを行い、検査でもほんの少ししか歯垢がついていないのに、急速に骨吸収が進む人がいます。 また代表的な歯周病原細菌とされるPg菌(ポルフィロモナス・ジンジバリス)はすべての歯周ポケットから高率に検出されず、健康な歯肉溝からも検出されます。 このような臨床的な経験から歯周病が一般的な感染症と異なる病態を持っているのではないかとの疑いが以前からありました。 自己免疫疾患とは、本来異物を攻撃・排除するはずの免疫システムが、自己と、非自己すなわち異物とを区別することができなくなり、自分の結合組織(細胞と細胞のまわりにある大量の物質で身体を支えたり、形を維持したり、隙間を埋めたりしています。電線が神経系、鉄骨が骨格系、ガレージの扉を開くアクチュエーターが筋系だとすれば、レンガやセメントに相当する部分が結合組織)を攻撃してしまう病気です。 T型糖尿病、グレーブス病(バセドウ病)、橋本甲状腺炎、慢性関節リウマチや全身性エリテマトーデス(SLE)、重症筋無力症、シェーグレン症候群、強皮症、多発性筋炎、皮膚筋炎、強直性脊椎炎、クローン病(潰瘍性大腸炎)、自己免疫性溶血性貧血、悪性貧血、抗リン脂質抗体症候群、ウェゲナー肉芽腫、天疱瘡、水疱性類天疱瘡などが該当します。 自己免疫疾患の条件として @ 標的臓器に自己抗体あるいは自己感作リンパ球を証明できる。 A 病変部で自己抗体あるいは自己感作リンパ球に対応する自己抗原を特定・分離することができる。 B この自己抗原を動物に摂取することにより、抗体の産生を証明できる。 C この摂取した動物に人の疾患と同じ組織学的変化が証明できる。 D この免疫された動物から正常動物の血清、リンパ球を用いて同様の疾患を移入できる。 が挙げられていますが、今のところ証明されているのは@とAだけだそうです。(「歯周病診断のストラテジー」P173を参照) 自己の組織とよく似た外来抗原に対する免役反応が自己の組織を傷害するという分子相同性というモデルがあり、歯周炎については、炎症のストレスにより、細胞が産生する熱ショック蛋白質(HSP: heat shock protein)の分子構造がPg菌や Aa菌、カンピロバクター・レクタス(Campylobacter rectus)のつくりだす熱ショック蛋白質と極めて相同性が高い、つまり良く似ていることが分っています。 つまり歯周病菌のつくりだす熱ショック蛋白質(HSP)を異物認識して発動された免役反応が、自分の歯周組織の産生するHSPに対しても起こり、周囲の自己組織が自己免疫反応により障害を受けて異物となってしまうという仮説が提出されています。 もし歯周炎が自己免疫疾患としての側面を持っているとしたら、これまでの歯周病のアプローチとは異なった治療指針が必要となります。しかし自己免疫疾患には女性がかかりやすい病気という特長がありますが、歯周病ではそれほど男女差がないように感じています。(エビデンスのある資料が入手できませんでしたので、分り次第修正します。)また標的臓器に共通する蛋白質を持つ他の組織への障害が合併しているのかどうかも、歯周病が自己免疫疾患としての側面を持っているかどうか判断する要素になると思います。 様々な再生療法の進歩、インプラント治療の領域の拡大などが進んでいますが、市場化の有無(製品として流通しているかどうか)、エビデンスの有無、テクニックセンシティビティー(術者の高度な技術が必要とされること)、高額な設備投資の必要性、高額な治療費用、患者さん側の心身の状態、保険制度の関係(混合診療問題)などにより、万人に応用できるわけではありません。 手を尽くしても進行が止まらない重症歯周病患者さんを目の前にするとき、何かその患者さんについて決定的に見落としている部分があるのではないかといつも悩みます。「されど歯周病、やはり歯周病」というわけで、臨床の悩みは尽きることがありません。 参考文献:「歯周病診断のストラテジー」吉江弘正・宮田隆編集 医歯薬出版株式会社 |