89「イギリス・ドイツからみえてきた日本の歯科医療のこれから」を読んで
本文へジャンプ 6月23日 
 
 89「イギリス・ドイツからみえてきた日本の歯科医療のこれから」を読んで



 先日「東京歯科保険医協会」の海外視察調査団が2003年3月に纏められた「イギリス・ドイツからみえてきた日本の歯科医療のこれから」を拝読する機会がありました。簡単に内容の概略をご紹介してみたいと思います。

○ 英国における3バンドシステム

イギリスにおいては、国民はナショナル・ヘルス・サービス(NHS)の医療サービスを原則的に無料で受けることができます。しかし医療財源はすべて税金で賄われているために、その枯渇から医療サービスの質が低下しました。

小児を中心とした登録患者数に応じた人頭割り制度と出来高払いの併用が行なわれていましたが、1999年から患者負担割合が80%と高くなり、事実上歯科医療の崩壊が起きました。

その結果、歯科開業医の40%はNHSから離脱する事態となり、また医療の質の向上への国民の声に応えるために、ブレア政権下で2001〜2005年に医療費が1.5倍に引き上げらました。

イングランドとウェールズにおいては、2006年に人頭割り制度が廃止され、患者さんは3種類の定額負担(3バンドシステム)に基づく医療負担をすることになり、歯科診療所への支払いは総額請負制に移行しました。

3バンドシステムは、軽度・中等度・重度の三つの診断群に分けて、それぞれの診断群に従って患者さんは定額の医療費を支払います。

・バンド1 患者負担:15.5ポンド(3260円)
     医療内容:診断・治療計画 (検査、レントゲン、歯石除去、簡単な処置、予防ケア)
     備考:1〜2回の通院。
・バンド2 患者負担:42.4ポンド(8900円)
     医療内容:治療 (充填、抜歯、根管治療、複雑な歯周治療)
     備考:2〜3回の通院。
・ バンド3 患者負担:189ポンド(39690円)
     医療内容:補綴 (冠、ブリッジ、義歯など)
     備考:1歯でも20歯でも全部同じ金額。

人頭割制度のもとでは決まった歯科医院へしか受診できなかったのですが、現在は好きな歯科医院へ通院できるようになっています。また妊産婦と18歳未満の青少年、低所得者は無料で治療を受けることができます。

診療所への収入は前年度の実績に合わせて月給制で支払われ、一診療所当たりの平均年収は3000万円ほどになりますが、この中から、歯科材料費、技工委託料、スタッフの人件費、設備費、研修費、歯科医師会関連の費用がすべて賄われるので、NHSにすべて依存する診療所はかなり厳しい経営状態になると言えるでしょう。

診療側からの問題点としては、以下の諸点が挙げられているようです。

@ 予め治療内容が決められているため、患者さんのニーズに合わせた十分な予防歯科医療が実施できない。例えば従来、イギリスでは歯科医師による禁煙教育に力が入れられていたのですが、それに対する評価がまったくなくなってしまいました。

A 低い補綴料金下において、技工をイギリスの歯科安全基準を満たさない中国など海外へ依存する動きが加速された。

B 決められた回数では十分な歯周病の治療ができない。

C 軽症の場合で定期検診を受けるとかえって高くつく。

歯科医師へのしめつけは非常に厳しく、NHSに加盟する歯科医師はほぼ権限のない準公務員のようなもので、3バンドシステムは「貧者救済のための最低限の保険制度」という側面を持っています。

またたくさんの病気を持っている患者さんや複雑な治療を必要とする患者さんは、3バンドシステムに加盟する一般開業医では嫌がられる傾向があるので、そのような患者さんは中核病院に紹介されることになります。

インプラントは基本的には保険外であり、矯正治療については10段階に分類されたうちの8,9,10段階、つまり難しいものだけが保険適応になり、その他の簡単な矯正治療は自費診療になります。

小児歯科医療では、全身麻酔下でC1以外の中程度のむし歯の歯もどんどん抜歯する傾向が生まれています。これは根の治療に対する診療報酬が低く、手間をかけて根の治療を行っても経営的に成り立たない事情があるからです。

実際、NHSに登録しない歯科医がほとんどで、NHS登録医はインドやルーマニアから移住した外国人歯科医であることが多いと言われています。

○ ドイツにおける最近の医療改革 医療国営化への志向

2000年に医療改革法が施行され、2003年には公的医療保険の近代化法が施行されました。
歯科分野では以下の諸点が改革されています。

@ ベメッションス・マスター(BEMA点数表)の近代化:補綴(冠や義歯)中心の点数評価から予防や歯の維持に補綴と同等の価値評価を行なうようになりました。ストップウォッチを使って、何百人の歯科医師で、予防や補綴のそれぞれの項目の治療行為に何分の治療時間がかかるのか測定し、平均値を求めました。報酬の評価を治療にかかる時間に従って評価し、補綴の過剰評価を削減し、予防の評価を大きく改善しました。

A 患者の代弁者が参加する「患者の代表委員会」の設置:実際に保険給付として患者が何を希望しているのか、その意見を取りまとめて連邦政府に意見、希望、要求を訴える機能を持つ機関をつくりました。

現在は女性政治家の一人がスタッフをまとめて運営し、直接、患者さんの苦情や意見を政策に反映させる機能を担い、国会における議決権は持たないが、発言権と提案権をもち、省庁と同格の仕事を果たしています。

患者さんの代弁者と、歯科医の組織と医療保険の組織が集まり、連邦共同委員会を作っています。

B ポリクリニック化と医療のチェーン化の推進:複数の歯科医師と場合によっては内科医が合同でつくる複合診療所化(ポリクリニック化)を進めようとしています。
また、従来、一人の歯科医師がひとつの診療所しか作れなかったのですが、全国展開するチェーン店化も推進しており、その目的は保険医協会等が医療保険の交渉の場で医療コストを吊り上げている制度を解消し、個別の診療所との直接交渉に持ち込み、安い値段の診療所と保険契約を結ぶのが目的です。この場合、1〜3人くらいで経営している診療所は全国展開しているチェーン店にはコスト競争力で適わなくなり消滅していくことになるでしょう。

C ZZQ(歯科医師の品質保証のための中央機関)の設置:歯科診療ガイドラインの作成、診療室でのクウォリティーマネジメント支援、生涯教育の援助を行なう機関です。向上教育、継続教育が医療保険と契約関係になる保険医すべてに義務づけされています。

・ イギリスの医療制度は原則的に税金で維持されているのに対し、ドイツの医療制度は様々の医療保険の組み合わせが財源になり、あくまでも保険料で賄われます。
ドイツの場合、ドイツの医療保険は非営利組合である500ほどの「疾病金庫(AOK)」が運営主体になっています。

法定疾病保険(GKV)、企業内健康保険、同業組合健康保険、ブルーカラーの代替保険、ホワイトカラーの代替保険などからなり、法的な公的健康保険の加入者が92%、民間保険の加入者が8〜9%程度になっています。

・ 児童と若年者、18歳に達するまでの若者の自己負担はすべて無料。また保険給付範囲を超える部分は自己負担となり、保険診療との混合診療が認められているのが特徴です。

・ 歯科疾患を52の症例に分類し、各症例群について、時間と理想的な治療手順についてシミュレーションが行なわれ、それぞれに応じた保険の定額補助が定められています。当然個別の疾患の個性の違いに対しては、対応していません。

○ 医療と財政のジレンマ

英国もドイツも我国と同様に、医療と社会福祉と国家財政との整合性に苦しんでいることがよくわかりますが、国民の受けられる医療内容としてはまだ、ドイツのほうがやや優っているかもしれません。

後期高齢者制度も混迷を深めていますが、もともと、社会保障費を累積債務の主犯とする考え方は中曽根首相時代の吉村仁厚生省局長が、1983年に「社会保険旬報」に掲載された「医療費をめぐる情勢と対応に関する私の考え方」という論文にある「医療費亡国論」に端を発しています。

1)医療費亡国論:このまま租税・社会保障負担が増大すれば、日本社会の活力が失われる。
2)医療費効率逓減論:治療中心の医療より予防・健康管理・生活指導などに重点を置いたほうが効率的。
3)医療費需給過剰論:供給は一県一大学政策もあって近い将来医師過剰が憂えられ、病床数も世界一、高額医療機器導入数も世界的に高い。

社会保障に対する政策の歯車がそこから徐々に狂いはじめ、小泉氏や竹中平蔵氏、財界首脳(奥田碩氏等)などの市場原理主義者により、医旅費総額規制、社会保障費の圧迫が継続的に行なわれた結果、今日の医療崩壊を招いています。

先進国の宿命として、構造的な国家の成熟化と老化に伴い、継続可能な社会保障制度をどう築くかという問題が必ず発生します。

システムそのものを一度分解して再構築する方法は過渡期の犠牲が大きすぎますから、次世代にふさわしい社会システムと論理にソフトランディングする必要があります。

今ほど、この停滞と混迷を払拭するために、新鮮で圧倒的な政治の力が必要とされる時代はないものと思われますが、今の日本人にそのような深い洞察と国民各層の説得を成し遂げることができる人物を期待できるでしょうか。

まあ人気のない福田首相も、とんでもない独裁者や扇動政治家が現れるよりはましかもしれませんが。

いささか心もとない初夏の夕暮れではあります。