幽霊は此処にいる‥  
本文へジャンプ2008年1月17日開設 

 




 №20 「ザ パーソナル ヘルス アドバイザー プログラム」(The Personal Health Advisor program ) 2008年2月8日(金)




 1.「望むところまでしか健康にはなれない」

  診療室を訪れる患者さんが全員健康を望んでいるわけではありません、と書くと何か変なことを言っていると思う人もいらっしゃるかもしれません。

 とりあえず、今、自分を苦しめているこの「不快な痛み」や「憂鬱な違和感」だけをなんとかしてほしい。

 「これ以外のことには手を触れないで欲しい。」と最初からある種の不信感を持って睨みつける人さえいらっしゃいます。

 歯科医師や歯科衛生士は『ああ、今、この咬み合わせを治しておかなければ、後で本当に困ったことになってしまうのに』とか 、『患者さんの希望するとおりの治療を行っても、後年、怨まれることにならないかしら』とか考え、一応、専門家の立場から患者さんが立たされている崖っぷちの危うさについてお話しますが、伝わる場合もありますが、全然理解していただけない場合も多々あります。

 しかし事情を詳しく伺ってみると、その患者さんに自分の健康を省みる余裕がまったくない場合がほとんどです。

 毎日、残業続きで空いている時間は日曜日か深夜のみだとか、リストラの危険があって、とても仕事中に歯科医院へ行くことなど上司に言えないとか、身内に介護の必要な家族がいて、精神安定剤や睡眠薬の助けを借りて、やっとの思いで毎日を乗り切っているとか、あるいは国民健康保険料が支払えないために資格が喪失した問題まで、百人の現代人がいれば百人のそれぞれの不幸が用意されているわけです。

 逆に、これでもかというくらい健康志向の強い方もいらっしゃるために、トータルで世の中の釣り合いはとれているのだなとも思いますが、そんなときにいつも思うことが『人は自分が望むところまでしか健康になることはできない』ということです。

 つまり痛みさえなければ後はどうでもいい、という人に、計画的に全体の治療を行おうとしても、『説明と同意』(コンプライアンス)を得ることはできないし、目の前の生き死にの問題を抱えている人に、悠然と予防や再発防止プログラムについて語っても、それは無理というものです。(乳がんの手術を繰り返した挙句、骨やその他の遠隔臓器に転移し、余命宣告を受けている人に、10年後に8020を達成する話をしてもむつかしいところがあります。)

 その患者さんが自分の置かれている状態をある程度、客観的に眺める余裕があるときに、初めてその患者さんと、『固有の健康目標』について話し合う前提が整えられます。

 私たちが自分の身体について持っているボディーイメージは極めて主観的なもので、暗闇の中で自分を閉じ込めている土室の壁を撫でて、その形を思い描いている観があり、自分の身体なのに、ある意味、現実の『自分自身』についてあまりよく理解していない場合がほとんどです。

 患者さんのきわめてパーソナルなボディーイメージを客体化し、現実の世界に照らし合わせることにより、患者さん自身を支配 する神から、患者さんが冷静に戦略を立て、合理的に対処できる対象物へと変換し、歪んだ自己像から解き放つお手伝いを専門家の立場から行なわなければなりません。

 そのためにお口の写真や様々の検査結果、レントゲン撮影の結果、咬み合わせや触診・聴診の記録、問診の結果などの客観的な資料を駆使して、患者さんがより現実を反映した自己のボディーイメージを再構築するサポートをするわけです。

 患者さんが正しいボディーイメージを得た上で、エビデンスに基づいた若干の医学情報を提供し、患者さんが最終的に選んだ選択に、専門家の良心をもって応えようとするのが、私たちの毎日の『お仕事』になるわけです。
 


 2.「未病への対応」

 東洋医学には、病気ではないが健康でもない状態を「未病」と考え、未病を発見しそれを治すことが、深刻な病気を予防したり 、より質の高い健康につながると考えます。2000年前の後漢の時代に著された、中国最古の医学書とされる「黄帝内経(こうていだいけい)」 にはじめて見られます。

 漢方では「上工(じょうこう)は己病(いびょう)を治さず、未病(みびょう)を治す」という言葉があり、良い医者は病気を治す前に未病を治す、としています。

 『日本未病システム学会』という学会がありますが、そこでは未病を『「自覚症状はないが検査では異常がある状態」と「自覚 症状はあるが検査では異常がない状態」を合わせて「未病」と定義し、「自覚症状もあり検査でも異常が認められる状態」を病気(既病)』と呼んでいますので参考にしてください。

 (日本未病システム学会→http://www.mibyou.gr.jp/nihongoindex.htm)

 さて歯科における未病とはいったいどんな状態でしょうか?

 漢方では歯周病もむし歯も、顎関節症も、口内炎などもすべて、全身的な身体の機能と物質代謝の調和が乱れた結果起こると考えます。
 
 別の言い方をすれば、歯周病とむし歯は細菌の病原性(ビルレンス)が生体の防御力(免疫力)を上回った状態が続くために起こると考え、顎関節症は身体の構造と機能を支える筋神経システムの破綻により起こると考えます。

 また口内炎はストレスや細菌、ウイルス、アレルギー反応などの粘膜の新陳代謝を阻害する因子が、粘膜の自己修復力を上回って発症すると考えます。

 これらの乱れの原因は、睡眠や喫煙習慣、飲酒習慣、食習慣、運動習慣、体質、年齢、性別それから患者さんが身を置いている心理的・社会的環境によるもので、個々の患者さん特有のリスクファクターが積み重なってできたものです。

 従って良い歯科医療は、単に保険点数表に収載されている項目をなぞるだけでは成立せず、その患者さんの全体像を把握し、歯科的な未病の原因について、患者さん自身が気がつくように誘導する必要があることになります。

 それは『質の高いお口の健康』が持つ価値に気づいていただき、その患者さんにとっての『固有の健康目標』を持っていただく ことと同じ意味を持っています。


 3.「パーソナル ヘルス アドバイザー プログラム(The Personal Health Advisor program )」

 個人資産を管理し、その有利な運用についてアドバイスしてくれる専門家にはファイナンシャル・プランナーがいます。
でも健康であることについてアドバイスしてくれる専門家を持っている人は少ないのではないでしょうか?

 確かに、かかりつけのお医者さんは、血圧が高ければ降圧剤をくれ、脳梗塞の危険があれば抗凝固剤を処方してくれます。食事指導もしてくれるかもしれません。

 でも日本の保険制度では、病院や診療所は基本的には病気になってから行くところであり、未病を予防するために行くところではありません。

 しかし未病の概念からすれば、思春期、いや生まれた時からの生活習慣や環境要因が徐々に病気に結びつく『人生の澱とゆがみ』を蓄積させていくわけで、もし科学的なエビデンスに基づいた適切なアドバイスを、その人が健康を望むときにかぎり、そっと押し付けがましくなく耳元で囁いてくれるようなシステムがあれば、日本人の健康の質はさらに洗練され、健康寿命が伸びることで、社会の生産性が向上するとともに、医療費負担の逓減や、新しい高齢者マーケットが開拓されることにつながります。

 つまり健康であることが社会を賦活化させる、ひとつの大きな産業になる可能性があります。

 節目検診など、現在、医療機関で行なわれる健康診断を受ける人は年々増えていますが、健康診断を受けるだけで満足してしまい、なかなか自分自身とその生活習慣を変えるまでに至りません。

 行動変容を起さない検診には何の意味もなく、医療資源とマンパワーの浪費でしかありません。要は医療と個人の間に、両者を取り持つ中間的な存在として、個人の健康状態を広い意味でサポートしてくれるアドバイザーシステムが必要なわけで、これが『パーソナル ヘルス アドバイザー プログラム(The Personal Health Advisor program )』になり、この専門家を『 パーソナルヘルスアドバイザー(Personal Health Advisor)』と呼びます。(以下PHAと略す)

 PHAは別に医師である必要はなく、予め定められたトレーニングコースを受講し、試験に合格すれば資格を取得できるようにし ます。健康に興味を持てる人なら誰でも受講できるように制度を設計し、最終的にはその運営はNPO法人などボランティア主体の市民組織に移譲します。

 たくさんの人がPHAの資格を取得することにより、その地域全体の健康寿命の底上げを図ります。

 私のイメージするPHAの職務内容には重要な目的が三つあります。

 ① 節目検診などの結果や本人による問診表記入などにより集められた資料を解析し、教育効果の高いアドバイザリープランを立案し実行する。

 ② 対象者に『健康の価値観』を流布し、『健康な人生』を目指すモチベーションを高める。

 ③ 未病から既病へ変わる兆しがあれば、重症化する前に適切な専門的医療機関を紹介し、両者の仲立ちをする。

 ほかにもいくつかの重要な役割が期待できますが、現実の壁にぶつかったときにまた修正していけばいいものと考えています。

 

 4.「行政の役割と市民の共生」

 さて過日(1月24日)、『健康長寿都市宣言 』について書かせていただいたところ、ある自治体がさっそく平均寿命と健康寿命の差をできるだけ小さくする対策を、関係部署に検討させたというお話を伺うことができました。

 まさに『打てば響くような』その対応力に感嘆したところです。

 先にも書きましたが、すべて行政が取り仕切るのではなく、地域社会に健康教育の核になるグループをいくつか育て、プログラ ムの立案や実行は市民に任せたほうが、自主性が生まれるものと思います。

 行政にお願いしたいのは、市民の有志グループが活動しやすいような仕組みをつくったり、アドバイスをしていただくことで、つまり市民の自発性を育て、その活動を支援する黒子に徹してほしいということです。

 地域社会の横の連携や、地域を愛する心も涵養されれば、新しい形での『協働社会』が生まれるのではないでしょうか?

 

 5.「歯科医師会のできること」

 パーソナル ヘルス アドバイザー プログラムにおける歯科医師会の役割ですが、以下の諸点に纏められます。
 
 ① 歯科疾患予防の観点からの『食育』
 
 ② 禁煙サポート

 ③ 正しい口腔衛生管理知識の習得と実行

 ④ 態癖の修正などによる咬合誘導や咬み合わせと姿勢の修正

 ⑤ 筋機能訓練

 ⑥ 各専門歯科医療機関への紹介(口腔外科や口腔乾燥症外来、心療歯科などへの紹介)

 ⑦ 各種検診の実施と結果の解析、対策の立案

 ⑧ 歯科疾患別予防及び対応マニュアルの作成

 ⑨ 受診勧告

 ⑩ 『お口の健康』の価値観の一般化

 ⑪ その他

 これらの業務内容はあくまで仮のものですが、実際の活動が始まれば適宜、改善していけば十分と考えています。


 6.「『健康長寿都市宣言』とブランド都市」

 5年半に亘る小泉ー竹中政権の結果、日本全体の格差は拡大し、特に地方中核都市の凋落には深刻なものがあります。

 その結果、似たような財政規模の自治体間でも、『陽のあたる街』と『日陰の街』の格差は歴然としたものとなり、後者での人 口の流出と出生率の低下には歯止めがかかりません。

 そんななかで、特色ある街づくりに成功したいくつかの街は、そこに住むこと自体がブランド化し、首都圏からのIターンと呼ばれる流入が続いています。

 私たちの信州においては軽井沢がその代表的な例ですが、不況に喘ぐ信州の地方自治体でも『健康長寿都市』は新しいブランドに化ける可能性があるのではないかと期待しています。

 地域を育てるにはまず人を育てる必要があり、人を育てるには『未病』を克服し、より質の高い健康を手に入れる必要がありま す。

 お口の健康という分野で、市民の『未病』克服に今以上貢献できれば、長野県歯科医師会のブランド価値も少しは上がるかもしれません。




 №19 「メタミドホス」 2008年2月7日(木)

 一ヶ月前まで日本人のほとんどがメタミドホス「ホスホルアミドチオ酸-O,S-ジメチル(O,S-Dimethyl phosphoramidothioate)」という単語に出会ったこともなかったものと思われます。

 でも「中国製冷凍ギョーザの中毒事件」が勃発してから、連日、ワイドショーや定時ニュースで取り上げられ、事件の影響は日中の広い範囲に及び、被害者や工場関係者、流通関係者、監督官庁、両国政府だけでなく、日本国民の食生活にはかりしれない影響を与え続けています。

 昨年12月から今年1月にかけて、中国製の冷凍ギョーザを食べた千葉県市川市、千葉市、兵庫県高砂市の3家族の計10人が激しい嘔吐や下痢などの薬物中毒症状を訴え、そのうち9人が入院しましたが、5歳の女のお子さんは一時意識不明の重態になり、その後意識は戻りましたが、手足の震えがまだとれない状態が続いていると報道されています。

 アブラムシなどの有機リン系殺虫剤に配合されているメタミドホスは、神経伝達物質のひとつであるアセチルコリンの分解を阻害する作用を持ち、神経麻痺を引き起こします。(コリンエステラーゼ阻害剤)

 メタミドホスの毒性をさらに高めて毒ガス兵器として開発されたものが、松本サリン事件でオウム真理教の殺人部隊により使用された「サリン」(O-イソプロピルメチルホスホノフルオリダート)であり、当時サリンを吸入し、命を取り留めた人々がいまだに重い後遺症に苦しんでおられることを勘案すると、被害に遭われた関係者の一日も早いご快癒を祈念するところであります。

 平成17年度の日本の食糧自給率は、生産額ベースの総合食料自給率が69%ですが、穀物自給率に限れば28%であり、供給熱量総合食料自給率は40%に留まっています。(農林水産省データによる)

 (供給熱量総合食料自給率:カロリーベースの食料自給率。カロリーベースの食料自給率は、国民に供給されている食料の全熱量合計のうち、国産で賄われた熱量の割合を示したものです。)

 今日では、日常、家族の食卓に乗る食品の大半が、生産者の面影を窺い知ることのできない、遠い異国から複雑な流通過程を経て辿りついた食品に依存しなければならない時代になっています。
 
 日本の食の安全とその未来について、国民の多くが強い不安を抱くことになった今回の事件ですが、一日も早い徹底的な真相の解明と再発防止策がとられることを国民の多くが望んでいます。

 口内炎や歯周病、むし歯など、歯科における多くの病気が、患者さんの食習慣と密接な因果関係を持っています。

 ただ診療室の中における機械的な治療だけでは、その患者さんのお口の本当の健康を取り戻せないケースばかりとも言えるくらいでしょう。

 日常、歯科診療室で行なわれている食習慣や睡眠習慣、運動習慣、各種嗜癖に対する指導が実を結ぶとき、驚くような治癒と予防の成果を得ることができます。

 長野県歯科医師会では「地域に戻れ」キャンペーンの一環として、「食育」の推進に協力していますが、「食育」の中には、地域の伝統ある農産物を旬の状態で食生活に取り入れる「地産地消」の考え方が含まれています。

 国家戦略としての食料自給についても考えさせられる今回の事件ですが、今夜は久しぶりに信州原産のザザムシと蜂の子などをつまみに安曇の地酒を横に置いて、軽く蕎麦でも手繰ろうかなどと愚考しております次第です。
 




 №18 「磨いていてもなぜむし歯になるの?」 2008年2月6日(水)

 私が尊敬します某先生は、披露宴でスピーチを頼まれると、新郎新婦の人生の餞(はなむけ)に際し、必ず「正しい歯磨きの方法」についてレクチャーされるそうです。

 通常の挨拶に慣れている会席者は、始めあっけにとられるそうですが、さすがに何十年ものキャリアを積んだ某先生のブラッシング指導は尋常ではなく、滋味に溢れたその語り口は一味も二味も違い、聴衆は歯ブラシに託した若い二人への応援メッセージに胸を熱くするついでに、口腔衛生への関心も深めるという一石二鳥の効果に感銘を受けるそうです。

 現在、長野県歯科医師会が総力を挙げて取り組んでおります「地域に戻れ」運動の原点がここにあるものと、勉強させられました。

 さて日頃診療室において、患者さんにむし歯があることを説明させていただくと、「え~ウッソ~?よく磨いているのに~」と憤慨されたり落胆される方がかなりいらっしゃいます。

 (関係ない話ですが、これは癌の余命宣告を受けたときの第一段階の反応に似ています。
   
  一般に癌の告知を受けた患者さんは、次の精神状態の段階を経て、受容に達するとされています。

  第1段階:否認 →第2段階:怒り→第3段階:取引→第4段階:受容 )

 むし歯の話に戻りますが、磨いているのにむし歯ができてしまう原因としては次のような要因が考えられます。

 1.磨いているつもりなのに磨けていない。(歯間部や歯茎、ブリッジや冠の下、入れ歯の触れている歯面などに歯垢が残りま す。)

 2.歯を磨く間隔が長いために古いプラークが溜まる。(むし歯の原因となる歯垢はきれいに磨いて除去しても、6時間経過すればつき始めます。)

 3.間食回数が多い。食べ物や飲み物に含まれる酸に接触している時間が長い。(飴を舐める習慣やスポーツドリンクを飲む回数の多い人、砂糖を含むチューインガムを噛む習慣のある人)

 4.就寝前にお口の中に細菌の餌になる、砂糖、果糖、乳糖、麦芽糖、ガラクトース、ブドウ糖などの糖質が含まれる食品を摂 る習慣がある。
(お口の中の細菌が糖質を分解しつくしてから就寝するほうがむし歯になりにくくなります。)

 5.ストレスや常用薬の副作用、唾液腺の障害、水分摂取量の不足などのために唾液の分泌量が少ない。
(最近、唇や皮膚がカサカサしていませんか?)

 6.硬い研磨剤のたくさん含まれる歯磨剤を多く使いすぎ、歯の表面に傷がついている。
(歯の表面積が増えれば、それだけ歯垢がつきやすくなります。)

 7.歯肉が退縮し、耐酸性の弱い歯根の表面が露出している。
(お年寄りの多い根面むし歯の原因になります。)

 8.歯並びが悪いために、歯と歯の間に歯垢が溜まりやすい。
(きれいな歯並びは見た目のためだけでなく、むし歯や歯周病の予防効果もあります。)

 9.毒性の強いむし歯菌に感染している。
(まったく同じ種のストレプトコッカス ミュータンスでも、人間と同じでそれぞれ微妙な個性の差異があります。乳酸の産生量や歯面への付着能などに少しずつ違いがあるものと推定されます。)

 10.生まれつきエナメル質の成熟度が低いために、酸に溶けやすい。

 11.うつ状態などのために口腔衛生を行なう心の余裕がない。

 12.シンナー中毒や強い酸の蒸気を吸う職業(メッキ工場など)、空気中に砂糖の微粉末が含まれる環境(お菓子工場など) での勤務

 13.歯科矯正治療などでエナメル質の表面を酸処理した後の手入れが不充分。

 などが挙げられます。



 ○むし歯の成り立ちを少し詳しく見てみましょう。

 むし歯(う蝕 dental caries)は歯の表面に付着したむし歯菌の生み出す代謝産物により、エナメル質やセメント質、象牙質という歯の硬い組織が破壊される感染性の病気です。 
 
 縄文時代の人骨からも3%くらいからむし歯の痕跡が見つかると言われていますから、歯周病と並び、太古から人間を苦しめている歯科の2大疾患と言われています。

 エナメル質は人体で最も硬い組織ですが、主成分がリン酸カルシウムであるために、酸により脱灰(decalcificatio ディカル シフィケーション)してしまいます。むし歯菌は歯の表面に形成された歯垢(デンタルプラーク)の中で乳酸を産生、蓄積し、プラーク内のPHが5.5以下になるとエナメル質の脱灰が始まります。

 中性PH7ですが、セメント質や象牙質はエナメル質よりさらに耐酸性が弱く、PHが6.7以下で溶けてしまいます。歯根の表面は エナメル質よりもむし歯になりやすいため、歯周病で歯茎が下がり歯根面が露出すると歯根の表面がむし歯になってしまいます。 (根面う蝕)
 
 ちなみに、私たちが日常的に口に入れる飲み物は意外と強い酸性を示すことが多いので、参考までに紹介します。

 胃酸(塩酸)PH 1.0~2.5

 白ワイン  PH 2.30

 赤ワイン  PH 2.63

 コーラ   PH 2.94

黒酢    PH 3.00

オレンジジュース      PH 3.00

 グレープフルーツジュース  PH 3.60

 アップルジュース      PH 4.10

 紅茶    PH 5.00

 コーヒー  PH 5.50

 コーヒー&ミルク PH 6.20

 紅茶&ミルク   PH 6.30

 

 (『根面う蝕』編著 今里聡 尾崎和美 永末書店 )より一部引用。

 もっともこれらの飲み物を飲んでも、歯に接触している時間は短いためにすぐにむし歯になるわけではありませんが、お年寄り や強いストレスに曝されている人、飲んでいる副作用や自己免疫疾患のために唾液分泌量が低下している方ではむし歯を起しやすくなります。

 むし歯の主要な原因菌はミュータンスレンサ球菌(mutans streptococci)で、現在7つの種類に分類されています。アクチノミセス属など他の口腔内細菌もむし歯を起しますが、主役はやはりミュータンスレンサ球菌になります。

 ミュータンスレンサ球菌のうち、人間の口の中で害をなすのは、ストレプトコッカス ミュータンス(streptococcus mutans)とストレプトコッカス ソブリナス(streptococcus sobrinus)の2種類であり、日本人の場合、口の中のミュータンスレンサ球菌群のうち、ミュータンスが9割弱、ソブリナスが1割強を占めています。

 二つのむし歯菌の特徴ですが、ミュータンスは平らな面への接着能力が高く、乳酸を作り出す能力が高いので、平滑面のむし歯をつくるのが得意ですし、ソブリナスは、グルカンというネバネバした糊のような蛋白質を産み出し、歯垢(プラーク)の厚みを 増し、他の細菌が住みやすくする能力に長けています。実験的にはソブリナスのむし歯誘発能力はミュータンスを上回るという説もあります。

 歯の表面を完全にきれいに磨いて、一切の付着物を取り除いても、14~15分後には唾液の蛋白質成分が表面に付着し、ペリクルと呼ばれる被膜になって歯の表面を覆います。

 ペリクルはエナメル質表面の脱灰を修復する働きも持っていますが、口腔細菌と強力に結合する分子を持っているため、ペリクルの表面には細菌たちが強固に付着します。

 特にミュータンスレンサ球菌やその他の口腔レンサ球菌が最初にペリクルに付着し初期のプラークを形成します。

 これらの細菌の分泌するグルコシルトランスフェラーゼという酵素が、砂糖(シュークロース#)を原料にしてどんどん水に溶けないグルカン(菌対外多糖、グルコースの重合体※)を作り出し、歯垢の厚みが増していきます。

(# 砂糖はグルコース、つまりブドウ糖の分子とフルクトース、つまり果糖の分子が結合してできているので二糖類と呼ばれま す。)

(※ 重合体、つまりポリマーはその基本構造であるモノマーが網状、鎖状に結合したもの)


 歯磨きをしてから6時間後には目で見える歯垢がつき始め、最初は球菌が主体でしたが24時間後には色々な種類の細菌が混合し、時間が経過するとともに、酸素のない環境で増える嫌気性菌の割り合いが増えていきます。

 24時間くらいまではプラーク中のPHはむし歯ができるギリギリ手前のPHである5.5(臨界PH)に保たれていますが、それを 過ぎるとプラーク内は次第に強い酸性に傾いていきます。

 つまり古い成熟したプラークがむし歯の原因になるわけですから、歯磨き間隔が長くなるとむし歯になりやすくなります。

 4日くらい歯ブラシの先が当たらないとプラークの厚みは1mm以上になり、内部に溜まった酸が歯の表面を溶かし続けるよう になります。

 よく掃除されていない排水孔などには、ネトネトした強い付着性をもつスライム(凝集塊)が観察されますが、このような物質 をバイオフィルムと呼び、プラークもバイオフィルムとしての性格を持つ口腔バイオフィルムであり、色々な細菌がバイオフィルム内で共同生活を営み、外界からの抗生物質や消毒薬に抵抗します。

 最近、バイオフィルム内の多種多様な細菌がお互いが共生できる秩序ある環境をつくるために、クオラムセンシングシステム( quorum sensing system)という情報伝達手段を持ち、それぞれの増殖スピードや物質代謝を調整し合っていることが分かってきました。

 プラークにブドウ糖や砂糖が触れると、プラーク中のミュータンスは糖質を発酵(解糖)させ、乳酸をつくります。この乳酸がグルカン中に蓄積されて歯を溶かしてむし歯が発生するわけです。

 これ以上詳しくは述べませんが、この他にも様々な、人間が持つ免疫システムをかいくぐる手段を、むし歯菌たちは持っていますので、当分の間、人類とむし歯の愛憎関係は続きそうです。

 歯を磨いているのにむし歯になる方は、まず間食回数を減らし、唾液を分泌を減らす原因を改善し、フッ素やキシリトールを利 用し、定期的に歯科医院で専門的な清掃によりバイオフィルムを除去してもらってください。

 むし歯ワクチンも研究されてはいますが、まだ実用化されてはいませんので、今のところ地道に砂糖の摂取制限やプラークコントロールを行なうのが現実的かもしれません。

 参考文献:『根面う蝕』編著 今里聡 尾崎和美 永末書店 





 №17 「小泉時代5年間を総括する」 2008年2月5日(火)



 今思えば、社会保障にとって、小泉純一郎氏が首相に在任した1,980日は期待と失意と怒りの5年間でした。

 当初、国民の大半は小泉氏が1995年に初めて自民党総裁選に登場したとき、「小泉 who?」という反応であったと記憶しています。すでに橋本龍太郎氏の総裁就任が確実になっていた当時の状況下で、橋本氏の無投票当選を阻止する目的で、当初、森善朗氏 (清和会)の擁立を図るも、本人が固辞したために、自ら出馬したとされています。

 小泉氏にとって転機となったこの総裁選で、最初、マスコミから泡沫候補扱いされていたにもかかわらず、意外な善戦を果たし 、その郵政民営化論と独特のキャラクターを国民の多くに認知させることに成功しました。

 2001年、国民の支持を失った森首相の後継を争う自民党総裁選に於いて、「郵政民営化」「自民党の派閥破壊」「抵抗勢力 」など単純で分かりやすいワンフレーズポリティクスを武器に、行き詰った政治状況の変革を望む国民の期待を一身に集め、「小泉旋風」と呼ばれる圧倒的なムーブメントを引き起こし、前首相の橋本龍太郎氏を打ち破りました。

 
 いわば当時国民は小泉氏の「変人ぶり(田中真紀子氏が世に広めた呼称)」に、既得権益に塗れた官僚支配、派閥支配を打破し、日本の閉塞状況を一変させる救世主としての役割を期待していました。しかし一般国民にとっては、小泉政権への期待に満ち、熱に浮かされたような5年半は格差社会を進行させ、社会保障を切り捨てた「弱者に冷たい」5年半でもありました。

 小泉氏はもともと1988年、竹下内閣改造内閣で厚生大臣として初入閣を果たした直後に、厚生年金支給年齢を60歳から65歳に引 き上げる痛みを伴う改革を行い、待望の郵政大臣に就任した1992年の宮澤内閣改造内閣では、老人マル優限度額引き上げを画策し果たせなかった前歴があります。

 
 小泉内閣の基本姿勢を決めたのは、慶應義塾大学教授である竹中平蔵氏です。竹中氏は日本開発銀行在職中、ハーバード大学及びペンシルバニア大学に留学し、大蔵省財政金融研究室主任研究官、大阪大学経済学部助教授、ハーバード大学客員准教授及び国際経済研究所客員フェロー、コロンビア大学「日本経営研究センター」客員研究員、慶應義塾大学教授、「東京財団理事」などを経て、小泉内閣の経済閣僚として、日本経済の「聖域なき構造改革」の断行を推進しました。

 竹中平蔵氏の信奉する経済政策は至上原理主義に基づき、「小さな政府(公共サービスの縮小)」と「財政の均衡化」、「公営 企業の民営化」、「規制緩和による競争促進」、「市場の体外開放」、「情報公開」などの「構造改革」を行なう「新自由主義」と呼ばれるものです。

 新自由主義は、マーガレット・サッチャーのサッチャリズム、ドナルド・レーガンのレーガノミックスなどに代表される政策であり、自由な投資環境を整えることにより、各国で産業競争力を回復したとして功績を評価されています。

 しかしその一方、大企業や金融工学を駆使する投資ファンドに取っては都合のいい新自由主義も、国家間の障壁が取り除かれ、経済のグローバル化が進むとともに、地球規模での搾取と収奪の草刈場化が進行し、具体的なものやサービスとは無関係な刹那的 な投機が、一般市民の生活にまで大きな影響を及ぼすような経済のゲーム化が進行しています。

 2001年にノーベル経済学賞を受賞したジョセフ・E・スティグリッツは「自由な市場」が実際には、投資家にとってどのような存在であるか、情報の非対象性の理論をうち立て、「今までに新自由主義的な政策で国民経済が回復した国は存在しない」と言っています。

 本来、人々の生活を豊かにし、物やサービスの価値を抽象化することにより、社会の価値の交換円滑化、安定化、高い信頼性を期待されている貨幣経済システムが、システム自体の持つ本質的な欠陥を突かれる形で様々な犠牲を市民に強要させる事態になっているとも言えます。

 いまだに私たちは誰もが幸福になれる最適の経済システムを見つけることができず、歴史上試されたすべての経済システムは何らかの負の側面を抱えています。その中で、比較的、害の少ないと思われているのが資本主義経済ですが、その中身や運用方法を絶えず問い直し改善していく必要があります。

 すべてを市場に任されば、個人が行なう合理的な判断により、貨幣経済を仲立ちとして見えざる手により均衡が訪れるという考えが市場原理主義ですが、必ずしも合理的な人生を送るわけでない個人の集合体である、実際の世界が市場原理主義者の主張するように動くわけでないことはサブプライム問題などを見れば、実際の歴史が証明しています。

 従来、独自の歴史と宗教と伝統を持つそれぞれの国家の経済システムは、それぞれの事情に合わせ、試行錯誤的に推移してきました。

 中国の「国家資本主義」とも呼ぶべき厳しい国家管理下での市場経済の部分的な導入、イギリス労働党のトニー・ブレアが唱えた「第三の道」、福祉国家と男女平等それ自体が国家を支える主要な産業になっているスウェーデンやフィンランドなどの「北欧資本主義」などアメリカンスタンダードとは異なる道を模索する試みはいくつかあります。

 日本においても、日本的資本主義が否定され、徹底的なグローバル化を推進することにより日本の復活を夢見る動きが小泉政権、安部政権と続きました。

 (以上、「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」を参照。)

 小泉政権は、医療政策に初めて新自由主義的医療改革を組み込み、医療分野への市場原理の導入を計画しました。
 
1.株式会社の医療機関経営を認可→医療・福祉を新しい成長産業とみなし、営利企業の参入を図り日本経済を賦活化させる。

2.混合診療の解禁→米国式医療の導入

3.医療機関と保険者の直接契約→力の強い企業が医療機関を「評価」することにより、個別に企業にとって有利な保険契約を結ぶ。

 医療改革をもっぱら竹中平蔵氏主導の「市場の目」で行なおうとしたのが、小泉医療改革の特徴と言えるでしょう。

 以上の医療の三大市場原理化は制限つきで部分的に認められましたが、医療側や受益者側の激しい抵抗により完全な実施は見送られました。ただし、混合診療に関しては歯科医療はすでに部分的に実施されている経緯があり、歴史的に医科と立場が異なることは過日に述べましたので参照してください。

 小泉政権は歴代自民党政権に比べ、最も厳しい医療費抑制策を実施するとともに、患者負担の拡大を矢継ぎ早に実施しました。
 
 2002年 健康保険法改正 健康保険本人負担率を2割から3割に引き上げ
 2002年 診療報酬の史上初の引き下げ
 2006年 診療報酬史上最大の引き下げ
 2006年 医療制度改革関連法の成立

 日本経済新聞は、常に日本の医療制度について大企業の立場に立った主張を継続しています。
彼らと経済財政諮問会議の委員に言わせれば、日本の医療は高コスト構造であり、非効率であり、さらなる医療費抑制を推し進める必要があることになります。

 確かに日本の患者さんが自分の受けている医療に対する満足度は国際的に見てあまり高いものではありません。

 歯科医療の場合で言えば、保険診療で認められている医療水準は40年前とさして変わりがなく、その間に新たに進歩した新しい技術や考え方、診断法(細菌検査、再生療法、インプラント、セラミックスクラウン、レーザー、静脈鎮静法、一般の矯正、咬
合誘導、予防歯科、審美歯科、海外で安全性が確かめられている各種の歯科医療材料や器具など)はほとんど取り入れられていませんし、むしろホワイトニングのように昔、単独で評価されていた治療が再診料(380円)の中に包括化されるたり、保険で使える金属の品位が低下するなど、給付内容は徐々に部分的に後退しています。
 
 またその間、物価や人件費は年々上昇し続けていたのに、20年から40年間以上、まったく技術評価に対する保険診療報酬が変わっていない項目がたくさん放置されています。

 新しい歯科医療技術や材料が次々と開発される中で、日本の歯科医療はほぼ40年前と同じ水準に押し込められているわけですから、国民が自分が受ける歯科医療の内容に満足していなくても不思議ではありません。

 高いと言われる日本の医療費ですが、主要先進国G7のなかではGDPに対する医療費の割合は最低であり、患者さんの自己負担率は最も高いという事実が国民に説明されていません。
 
 経済財政諮問会議と日経は「医療の効率化により更なる医療の質の向上と医療費の抑制は可能」と言いますが、工場とは違い、医療の場は労働集約型産業であり、ロボットやパソコンを揃えれば、一日に診れる患者さんの数を倍にすることが可能なわけではありません。大量生産を行なう自動車工場のように、一人一人の患者さんにかける時間と手間と経費を切り詰めて、どうやって医療の質を確保できるのでしょうか?

 もともとが人が人を癒す場である医療システムと、産業ロボットにより効率化を追求して自動車をつくる産業システムは同じ発
想で処理すべきでないことは自明なことです。

 小泉政権下の徹底した医療費抑制策の結果、日本の医療は社会のセーフティーネットとしての最低限の役割が果たせなくなってしまいました。  

 小児科、産科医不足、救急医療の崩壊、国民保険料滞納者の孤立死などが報道されますが、歯科医療でも、高騰する人件費や技工料の負担、実需と連動していない貴金属の投機的価格等に喘ぎ、必要な医療技術の研鑽や導入に加え、優秀な人材の導入に支障を来たすような事態になっています。

 サッチャリズムに主導された金融ビックバンによりイギリスの経済は回復しましたが、英国企業自体は外国資本に対抗できずに多くが市場から敗退し淘汰されました。また医療分野や教育は深刻なダメージを受けて荒廃し、経済格差が広がり公共サービスを受けられないイギリス国民が増えました。

 その結果、トニー・ブレアが提唱したのが『第3の道』ですが、「競争参加動機のある者への再分配」を実現するために、「機会の平等」が志向されています。(後に、『第3の道』政策はイギリスのイラク戦参加を契機に瓦解していきます。)


 日本の医療を考える際に必要なことは、第一に市場原理主義をいかに打破するかということです。

つまり社会保障と経済成長が両立する日本独自の経済モデルをつくれるかどうかにかかっているわけで、私は安心できる医療と誰でもが再挑戦できる教育システムを構築しすることが最も重要だと考えています。

 つまり人そのものの未来に投資し、その意欲を引き出し、日本の明日への信頼感を取り戻すことが喫緊の課題だと信じています。
 

 参考文献:『医療改革 危機から希望へ』二木立 勁草書房

 




 №16 「歯周病という名のテロリズム」 
2008年2月4日(月)
 
 


 動脈硬化を進行させたり、糖尿病を悪化させたり、細菌性心内膜炎や誤嚥性肺炎の原因になったり、早産や骨粗鬆症などに影響 を与えるのでないかと言われ、今や国民病とも呼ばれる歯周病ですが、その予防法は簡単に言えば、次の2点になります。

 1.歯垢(プラーク)の量をできるだけ減らす。

 2.身体の抵抗力をつける。

 微生物(目に見えない生き物)が人や動物の身体に定着しそこで増殖することを、感染(infection)といいますが、宿主(ホスト、しゅくしゅ、微生物が寄生している本体である人間や動物のこと)に病理的な変化が起こらなければ、発病とは呼ばないため、感染と発病は同じものではありません。

 歯周病はお口の中に寄生している複数の弱毒性菌による混合感染症です。

 歯周病の原因となるありふれた細菌は、誰のお口の中にも見られる細菌が中心ですから、そういう意味では私たち、人間は常に歯周病菌に感染している状態です。病気や疲労などでホスト側の防護力が低下するか、お口の中の細菌の量が著しく増えた状態のどちらかの条件を満たさないと歯周病にはなりません。

 正常な免疫力を持つ人では、細菌の毒力が増すか、数が増えたときに、感染症としての病状が重くなりますが、感染に対する防御能の低下した人では、毒力がほとんどない細菌が比較的数がすくない状態でも病気になります。

 またワクチンなどで、その病原微生物に特異的な免疫をもっている人は、強い毒性の細菌に感染しても病気の症状は軽くてすみます。

 また先天的にその病原微生物に感染しても、何ら症状が出ない人の場合は、細菌と共存する状態で保菌状態のまま、ずっと人生を歩むことになります。

 どんなに美しいあの人にも、その身体には10の14乗個(つまり100兆個)の細菌の細菌が棲息し、ひどい便秘でないかぎり一日に10の22乗(100垓(がい))から10の23乗(1000垓)の細菌を体外に排出しています。

 その輝く肌の表面にも、1平方cmあたり1000個の細菌が棲みつき、デンタルプラーク(歯垢)1gあたりには1000億個の細菌がつまっています。また年々進歩する培養技術の結果、お口の中から見つかる細菌は500~1000種類くらいにまで増えてきています。

 このように健康な人の身体に棲みついているたくさんの種類と数の細菌やウイルスなどの微生物の群れのことを、常在細菌叢(じょうざいさいきんそうindigenous microbiota インディジネス マイクロビオタ)とか正常フローラ(normal flora)と呼びます。

 ふだんは何も起すこともなく宿主に寄生しているフローラですが、時折、フローラが原因で病気になることがあり、これを内因性感染(endogenous infection エンドジェナス インフェクション)と呼び、特に、怪我や病気で宿主の抵抗力が落ちた時に病気を引き起こすことを日和見感染(opportunistic infection オポチュニスティック インフェクション )と呼んで、入院している患者さんなどで問題になっています。

 正常なフローラは他の病原微生物の宿主への感染を邪魔する役割も担っています。特に腸管のフローラでは、微生物が有害物質を代謝して無毒化し、人体にとって欠かすことのできない必須ビタミンも合成していますが、お口の中の正常なフローラも新たな病原性の強い細菌がお口の中に定着、増殖することを邪魔しています。

 お口の中でも舌背、歯の表面、歯肉溝(歯茎にある歯と歯肉の間の隙間)などに口腔フローラがついています。特に歯の表面では、歯磨きが不充分で正確でない場合、細菌がすぐに増え、細菌の分泌する耐水性の蛋白質により守られたバイオフィルムと呼ばれる塊が、歯垢(プラーク)となってびっしり付着してしまいます。

 通常は感染していても、歯周組織(セメント質、歯根膜、歯肉、歯槽骨)が破壊される歯周病の症状は現れませんが、口腔フローラが著しく増えたり(つまり歯垢が増えたり)、フローラを構成する細菌の種類が病原性の強い細菌に替わったり、人の防御力が低下した場合に歯周病が発症します。

 歯周病になりやすいホストの条件として次のようなものが挙げられています。

 代表的な歯周病のリスクインディケーター(リスクファクター)

 1.不十分なプラークコントロール(口腔清掃)
 2.(乱暴な歯磨きなどによる)歯肉の外傷
 3.磨きにくい歯並び
 4.栄養の不足とアンバランス
 5.糖尿病などの内分泌障害
 6.思春期や周産期における性ホルモンの影響、ピル、閉経
 7.白血病、貧血症、血小板減少症などの血液疾患
 8.無顆粒球症などの免疫不全疾患
 9.動脈硬化や先天性心疾患などの循環器疾患
 10.リン、砒素、クロム、水銀、鉛、ビスマスなどの中毒
 11.心身障害(喫煙、歯ぎしり、強い噛みしめなどの神経症的な習慣)
 12.加齢

 (『クリニカルペリオドントロジー』 Michael G.Newman Henry H.Takei Fermin A.Carranza クインテッセンス出版 より一
部改変の上、引用)
 
 喫煙が最後の心身障害の中に分類されているのが興味あるいところです。

 本来、宿主に寄生しても特に問題を起すことなく過ごしていたフローラが、いつのまにか身体にとって有害な病原性を発揮して
宿主(ホスト)に仇なすテロリストと化すのが歯周病の発症とも言えます。

 正確で丁寧な歯磨きや歯科医院での歯石除去により、テロリスト(歯周病原菌)の勢力を削ぐことにより、治療しようという方 法は歯周病治療の根幹になるものです。

 でもテロリズムの根絶には、圧倒的な軍事的圧力により、テロリストを排除するだけでは問題は解決しないことはアフガニスタ ンやイラクを見れば明らかです。

 やはりテロリストが出現する原因となる貧困や圧政、宗教や階級間の対立を、国民間の対話、教育機会の充実、失業率の低下、安定した民生の実現、公正な選挙制度の構築などの手段を通して社会を変える努力も大切になります。

 同様に、歯周病の予防と治療も病原性細菌の数を減らすことと同時に、宿主(人)の防御力を強化する二正面作戦で行なうことが効果を高めます。

参考文献:

1.『口腔微生物学・免疫学』浜田茂幸編 医歯薬出版
 
2.『クリニカルペリオドントロジー』 Michael G.Newman Henry H.Takei Fermin A.Carranza クインテッセンス出版


 ○ 第53回「信毎健康フォーラム<大町>」のお知らせ

 長野県歯科医師会では、次の専門家の講師をお招きして、市民を対象にした最新の歯周病治療の現状について知ることのできる
講演会を後援いたします。この機会に是非、県民の皆様のご参加をお待ちしております。

 ◇日時 2月23日(土)午後1時30分(開場午後1時)

 ◇会場 大町市文化会館(大町市大町1601―2)

 ◇講師・講演内容

  松本歯科大学教授  鷹股 哲也氏

  「原因と予防」

  松本歯科大学教授  吉成 伸夫氏

  「治療をめぐって」

  司会 信濃毎日新聞編集委員  飯島 裕一

 ◇協力 信州大学医学部

 ◇後援 長野県、長野県教育委員会、大町市、長野県医師会ほか

 ◇協賛 キッセイ薬品工業株式会社

 聴講ご希望の方は、信濃毎日新聞松本本社事業部(〒399―8711松本市宮田2―10 ファクス0263・26・873
0)の「信毎健康フォーラム」係へ、郵便番号、住所、氏名、年齢、電話番号、聴講券希望枚数を明記し、はがきかファクスでお
申し込みください。順次聴講券をお送りします。講師に質問がありましたら要旨を書き添えてください。




 №15 「クオリアの世界」(QUALIA) 
2008年2月2日(土)

 この世界はクオリアで満たされています。

 言い方を変えれば、私たちが認識する世界のイメージはクオリア(感覚質、質感)で構成されています。

 この聞きなれない言葉は何でしょうか?

 麻酔の注射をされるとき、私たちの心に現れる表象(representation:イメージとして再現されるもの)は、酒石酸水素エピネフリン含有0.5mの塩酸リドカイン水溶液が身体に入ってくる物理的な現象ではありません。

 口の端をぐいっと引っ張られる感じ、粘膜に鋭い金属が押し当てられる感覚、ぐっと押される感覚、粘膜の表面がぷちっと破ら れる感覚、鋭い針で刺すような瞬間的な痛み、おもわず身をすくめ、全身の筋肉に力が入る自覚、冷たい液体が歯肉の内部を広がる感覚、歯科医の『肩の力を抜いて楽にしてください』という機械的な声をぼんやり聞きながら、だんだん歯肉や頬の感覚が鈍くなり、何か腫れた塊のような異物感に耐えていくうちに、『患者』という役割に慣れていきます。

 このような私たちの感覚を特徴づける独特の質感、『リアル感』をクオリアと呼びます。

 クオリア(質感)は心の中に湧き上がるイメージ(表象)を形作る個々の要素であり、クオリアが集合して世界の色々な部分を表す表象がつくられています。

 セラミックスクラウンは透明感や光沢、艶、深部のそれぞれの層から反射する色彩、偶角の丸みや、唇面の穏やかな曲面、口蓋面の緩やかな陥凹、基底結節の形状、最大豊隆起部の形状、エマージェンスプロファイル、滑沢で硬質な表面などいくつかのテクスチャー、色、フォルム、触感などのクオリアが集合して、セラミッククラウンというひとつの表象が生まれています。

 森の中を散歩すれば、様々の色や匂いに包まれます。

 風に震えるブナの葉ずれの音、踏みしめる枯葉が砕ける感触、濃厚な樹液の匂い、渓流で岩を洗う水しぶきが発生するマイナスイオン、ブッポウソウの特徴のある呼び声、トチバニンジンの鮮やかな赤など、実際に存在しているはずの実像の世界を、私たちの感覚器官や脳の回路を通して、個人的なバイアスをかけた状態で世界を認識しています。

 現実に物理的な質量と空間を占める世界は存在するはずですが、私たちの心に映るのはその影にすぎないとも言えます。

 目を閉じれば、世界はなくなるわけでなく、自分が認識しているかどうかにかかわらず、地球は太陽の周りを廻り、高嶺では風雪が吹きすさび、恋人たちは愛を語らい、兜町では投資家が株価ボードの数字に一喜一憂しています。

 しかし私たちの心に映る世界が、現実の世界をそのまま素直に引き写しているわけではなく、あくまでも脳内のスクリーンに映 ったイメージの中で人生を送っているだけに過ぎません。

 アミューズメントパークでバーチャルリアリティーの世界に入り込めば、空の高みから一気に海溝の底へ落ち込む体験も、次々と目前に迫る大木を避けながら森の中を駆け抜ける体験も、あるリアル感をもって体感できますし、レビー小体型認知症に罹患すれば、極めて迫真性をもった幻覚や幻聴と暮らすことができるようになりますが、この時、当事者にとってそれが現実の世界かどうか疑う隙もないことがあります。


 脳科学者は『心の中に見えるものはすべて脳の中の物質的過程に伴って生ずる随伴現象に過ぎない』と言いますが、物理的に連続した共通の世界で暮らしているはずの私たちは、実際にはそれぞれの心の中に映る極めて個人的な世界の写像の中で生きているわけです。

 『説明と同意』を獲得するために、日々私たち歯科医師は診療室内で格闘しています。

 同じレントゲン写真や口腔内写真を見ているはずなのに、あるいは同じ病態について語り合っているはずなのに、患者さんと私たちが考えていることがまったく異なることに気がつき驚くことが珍しくありません。

 誰が見ても、ぐらぐらで動揺が激しく、周囲の骨は失われ、とうてい本人の健康のためにはならないと思われるむし歯と歯周病 の進んだ歯でも、どうしても抜歯に同意しない患者さんはめずらしくありませんし、(単に信用されていないだけだという話もありますが)、唇から飛び出ているような著しい出っ歯を治そうとすると怒られることもめずらしくありません。

 またどうしてこのような不潔な状態に慣れることができるのか、理解に苦しむような歯垢と歯石に満ち溢れたお口の中は良く見る例ですし、日本で数台しか走っていない超高級車で通院するような患者さんが数百円の保険の一部負担金に拘泥するようなケースもあります。
 
 これは患者さんと歯科医師で、患者さんの身体に対してのボディーイメージや健康に対するプライオリティーの順位が異なるために起こる現象ですが、 人がその人に固有のクオリアで構成された世界の表象の中で生きているからに他ありません。

 いわば私たちはそれぞれが異なった心の世界の王であるとともに下僕であり、違う世界をつなごうとする脆弱で危うい架け橋が言葉や映像などのコミュニケーション手段です。

 できるだけビジュアルに単純でわかりやすい言葉で患者さんに語りかけ、また患者さんが提供してくれる様々な資料や言葉や仕草を感知して、異なる世界へのおぼつかない接近を試みる姿が毎日の診療の実態ではないでしょうか?

 『私たちは環境から情報を受け取るだけの受身の存在ではない。私たちは世界に働きかける存在でもある。私たちは環境から様々の情報を受け取り、環境に様々な行為を通して働きかけ、その結果、環境に変化がもたらされ、それが私たちの感覚を通してフィードバックされる。このようなループを通して、環境と生き生きと相互作用する能力を私たちは持っている。』

 (『クオリア入門 心が脳を感じるとき』茂木健一郎 ちくま学芸文庫 より引用)

 さあ、今日も元気を出して生き生きと環境の改変に取り組もうではありませんか!


参考文献:『クオリア入門 心が脳を感じるとき』茂木健一郎 ちくま学芸文庫 ISBN4-480-08983-7
 

 


 №14 「そのインプラントは永遠か?」 2008年2月1日(金)

  

 過日、介護保険に熱心に取り組まれている辰野町の村上順彦先生のお話を伺う機会があり、色々、考えさせられるところがありました。

 村上先生は訪問診療を地域において率先されて行なわれ、居宅や施設に歯科衛生士さんと一緒に訪問されて、脳卒中や廃用症候群で要介護状態にある方や認知症、障害のある方の歯科治療に取り組まれています。

 長い間の療養生活を通して、自分でお口の十分な衛生を保てなくなったために、お口の中が乾燥し、舌が口蓋に張りついてしまい、飲食ができなくなった方に対しても、歯科衛生士さんが丁寧に保湿や清掃を行なうようことにより、ご自分で食事ができるまで回復する症例を見せていただき、大変な感銘を受けました。

 中でも考えさせられたのは、『インプラントを植えた患者さんが介護が必要となり、自分でインプラントの清掃ができなくなったとき、条件が悪い場合はインプラント周囲炎を起す。このような場合のインプラントの撤去に苦慮している。』というご発言でした。

 歯周病治療やむし歯予防をしっかりと行なう歯科診療所と患者さんが増えた結果、最近は、80代に突入しても28本の歯を前部持っている方が珍しくありません。

 またインプラントが急速に社会的に認知された結果、義歯が不要になり、インプラントの上にとりつけた冠やブリッジで若い時と同じように食事や会話を楽しめるようになってきています。

 したがって、訪問歯科診療の現場でも複数のインプラントを入れた患者さんに出会うことがあたりまえの世の中になってきています。

 インプラント治療を希望される患者さんが一様におっしゃることは、『このインプラントは一生もちますか?』ということです。インプラント自体は金属ですから、むし歯になることはありませんが、極端に周囲が不潔になれば細菌がインプラント周囲に侵入して化膿してしまいます。

 またインプラントはなんでもなくても、他の歯が歯周病やむし歯でグラグラになったり、失われれば、インプラントに咬み合わせの過剰なストレスが加わり、インプラントの周囲の骨吸収が進むか、インプラント自体が金属疲労を起して破折してしまいます。

 従って、他のどの歯科治療でも同じことですが、インプラント治療は手術に成功して冠をかぶせた時点で終わりでなく、そこからがスタートであり、日常的な細やかなホームケアとかかりつけの歯科医院での定期的な検診と専門的な清掃、咬み合わせの調整を受けることにより、初めて長期的に安全に使えるわけです。

 高額な治療費を支払ったとしても、後はほったらかしで、歯垢や歯石がたくさんついたままのお口の中では、とてもそのインプラントは安心できません。やはり患者さん自身に自立した健康観が備わっている必要がある治療法と言えるのではないでしょうか?

 しかしどんなに熱心に通院していただいた患者さんでも、四苦八苦は人の定めであり、いつ病や事故で身体の十分な機能が失われるかは誰も予想できません。

 そんなときに誰があなたのインプラントのお世話をしてくれるでしょうか?

 村上先生はあるインプラントの達人の先生に『先生がインプラントを入れた患者さんが、もし寝たきりになったらどうしますか?』と尋ねたそうですが、その先生は『私が診た患者さんが要介護になったら、私自身が訪問診療をするつもりだ』とお答えになったそうです。

 しかし必ずしもその先生が患者さんより長生きできるわけではありません。

 現代歯科医療にインプラントは欠かすことのできない最後の頼みの綱といったポジションを占めています。

 でもインプラントを埋める前に、その先生が自分が寝たきりになったときに、よく面倒をみてくれそうかどうか、よい『かかりつけ歯科医』であるかどうか、一考が必要な時代になりました。

 不幸にして歯を失った場合でも骨や身体の条件が良くて、患者さんが保険外の高額な治療費を支払える場合は、インプラントを行なえば咬み合わせの機能を回復することができます。でも最終的には自分の身体の健康は自分で守るという気持ちがなければ、どんなに高価な治療を行っても、うまくいかないのは歯科医療だけではありません。






 №13 「歯科医療とパンデミック・フルー」(pandemic flu) 2008年1月31日(木)

 もし新型インフルエンザで地域社会に感染者や死亡者が実際に出現する事態になったら、恐らく大学病院も含めて、通常の歯科診療室では歯科医療が成り立たなくなることと思われます。飛沫感染や空気感染で感染する致死率が高い感染爆発の中で、患者さん同士の交叉感染を防ぐことは困難ですし、宇宙服のような防護服を用意して通常の歯科診療を行なうことは経済的にも物理的にも無理かもしれません。

 だいたい若い女性が主体のスタッフが出勤してこないものと予想できますし、医療機関側としてもそこまでリスクを負担してほしいとはとても強要できません。

 しかし、むし歯や歯周病などのごく普通の歯科疾患でも、明治時代はそれが原因で敗血症を起し、死亡する方がめずらしくありませんでした。
もちろん、明治時代に比べ、国民の衛生状態や栄養状態は大きく改善されていますし、現代には各種抗菌剤がありますから、同じようなことは起こらないとは思います。

 それでも実際にパンデミックになったとき、新型インフルエンザウイルスの型を分析し、それに対してワクチンの製造を開始しても、一定量が製造されるまで半年間はかかるだろうと言われていますから、この半年間の間にじっと家に籠もって、外部との接触を断ち、新型インフルエンザの致死率が低下するのをじっと待つ人たちが現れるものと予想されます。買い置きされたインスタントラーメンなどの備蓄食料だけで長期間過ごしていたら、病気に対する免疫力や身体の抵抗力は低下しますから、何が起こるか分かりません。

 どんな事態が起こるかまったく不明ですが、パンデミックが起きたときに、もし私ども歯科医師も何か社会に奉仕することができれば当然、微力を尽くすつもりでいます。

 ただし注意しなければならないのは、鳥インフルエンザの他にも、重症急性呼吸器症候群(SARS)、牛海綿状脳症(BSE)、石綿による中皮腫、ダイオキシン、環境ホルモン、薬害エイズ、薬害C型肝炎、耐震強度偽装事件、様々な食品偽装問題、タバコ副流煙による発ガンや肺気腫のリスク、O157、それから温暖化問題やテロリズム、サブプライム問題に端を発する世界同時恐慌、核戦争、関東大震災や富士山の爆発に至るまで、現代にはこれでもかというくらいリスク情報が溢れていることです。

 これらのリスク情報の中には、すぐに的確な対策を打たなければ取り返しのつかないことになるものから、見出しは扇情的だけれども、実際はたいした被害のでないものまで様々のレベルの情報が混じっているものと思われます。

 マスコミや有識者の意見ももちろん参考にするのですが、独りよがりでない合理的な判断力、いわゆるメディアリテラシーを持つことが現代ほど要求される時代はありません。

 どの世の中にも終末願望のある人々が必ず一定の割合で含まれていますから、本当に科学的な発言なのか、信頼できる統計学的な資料を典拠にしているのか確かめる必要があります。

 ちなみに厚生労働省やオーストラリアのロイ研究所の推定によれば、世界で数千万人が死亡し、日本でも64万人から200万人が死亡するとしています。仮に64万人が死亡するとすると、これを1億2800万人で割り、10万人をかけると10万人あたりの死亡者数が出ますが、10万人あたり実に500人が死ぬことになります。

(これは大正7年、1918年秋から大正9年も春過ぎまで一年半にわたり猛威を振るったスペイン風邪、致死率2%などを参考にして算出されています。当時の内務省衛生局の資料によれば385000人が死亡したとされています。当時、択捉島では死体を原野に山積みして焼却する惨状であったと伝えられています。死亡者の多くが健康な若者から中年層であったのが特徴的です。)

これがいかに大変な数字かというと、同じく10万人あたりの死亡者数を各種インシデントで挙げてみますと分かります。

 新型インフルエンザ500人/10万人
 
 ガン       250人/10万人

 自殺        24人/10万人

 交通事故       9人/10万人

 火事       1.7人/10万人

 自然災害     0.1人/10万人

 落雷     0.002人/10万人 (資料は『リスクのモノサシ』中谷内一也著 NHKブックス より転載)

 つまり日本の全死亡者数が一挙に60%増加するのが64万人という数字であり、場所によっては火葬場が間に合わずに遺骸が野積みにされるような状況が生まれるかもしれない数字です。

 正直なところ、東南アジアでSARS感染者の死亡例が出たときでも、衛生状態の良好な日本では被害は皆無だったことを考えると、本当にここまで事態が進むものか実感として信じることができません。
 
 鳥インフルエンザの最新情報によれば、10日前より、インド西ベンガル州とバンデグラシュでH5N1型の鳥インフルエンザが拡大しているそうですが、WHOはまだコメントを出していません。

 一応、WHOのフェーズ分類によれば、現在の状態はフェーズ3であり、流行危険度は鳥から人への感染が主であり、人から人への感染があっても、極めてまれな状態とされています。

 ちなみにWHO(世界保健機関)の2005年版分類によるパンデミックフェーズによれば、

1.フェーズ1 (前パンデミック期):ヒトから新しい亜型のインフルエンザは検出されていないが、ヒトへ感染する可能性を持つ型のウイルスを動物に検出。

2.フェーズ2 (前パンデミック期):ヒトから新しい亜型のインフルエンザは検出されていないが、動物からヒトへ感染するリスクが高いウイルスが検出。

3.フェーズ3 (パンデミックアラート期):ヒトへの新しい亜型のインフルエンザ感染が確認されているが、ヒトからヒトへの感染は基本的にない。

4.フェーズ4 (パンデミックアラート期):ヒトからヒトへの新しい亜型のインフルエンザ感染が確認されているが、感染集団は小さく限られている。

フ5.ェーズ5 (パンデミックアラート期):ヒトからヒトへの新しい亜型のインフルエンザ感染が確認され、パンデミック発生のリスクが大きな、より大きな集団発生がみられる。

6.フェーズ6 (パンデミック期):パンデミックが発生し、一般社会で急速に感染が拡大している。

7.後パンデミック期:パンデミックが発生する前の状態へ、急速に回復している。

に分類されています。

1月12日、13日に放送されたNHKスペシャル「シリーズ 最強ウイルス 感染爆発 パンデミック・フルー」をご覧になった方も多いと思われますが、WHOなどの専門家が、新型インフルエンザのパンデミック(世界的流行)は「『もしも』ではなくいつ起きるかの問題、」と言っていたのが印象的でした。

 番組では『どこかの国で新型インフルエンザウイルスが出現すれば1週間で全世界に拡大、未曽有の悲劇が人類を襲うことになる。ひとたび日本国内に入れば、だれも免疫を持たないため、瞬く間に感染が広がり、医療機関、交通機関、食料供給など社会は大混乱に陥る危険性がある。』と警告していました。

 もともと高病原性鳥インフルエンザウイルスH5N1亜型は、41℃前後で増殖する性質をもっているのですが、2004年にベトナムの患者から検出されたウイルスは、哺乳類の一般的な体温(約37度)より低い約33度でも増える遺伝子変異を達成していることから、少しずつ新型インフルエンザに近づいている姿が浮かび上がっています。

 人インフルエンザは次のように分類されます。

 1.A型インフルエンザ:鴨などの鳥類が自然宿主として体内に保有するウイルスで、理論上は135種類あるものと思われる。 現在流行している株は、

      香港型 H3N2(1968年初発)
      ソ連型 H1N1(1977年初発)

 であり、現在、世界的に家禽や野鳥の間で流行しているのがH5N1で人ー人間で感染するようになると新型インフルエンザになります。

 2.B型インフルエンザ:人しか感染せず、A型ほど症状が重くならならい。
 
 3.C型インフルエンザ:人しか感染せず、症状も軽く、流行もまれ。

 風邪とインフルエンザは異なり、

 風邪:鼻、咽頭、上気道粘膜に侵入する風邪ウイルスにより引き起こされる急性上気炎。

 インフルエンザ:インフルエンザウイルスにより引き起こされる全身感染症。発熱、呼吸器症状、全身倦怠感、四肢の関節痛、消化器症状、神経症状。

 このHやNはウイルスの表面の二つの糖蛋白質を表し、Hはヘマグルチン(H1からH15の15種類)、Nはノイラミダーゼ(N1からN9の9種類)を表しているそうです。

 H5N1鳥インフルエンザウイルスが人に適合すると言う意味は、ウイルス表面のヘマグルチンの突起が、構造変化を起して、人の気管支や肺の細胞と親和性を持ち、細胞内に侵入して増殖するようになることです。

 今までは肺の深くにウイルスが大量に入らないと発病しませんでしたが、2006年の5月にインドネシアで同居親族間の集団発生が起こり、7人の感染者が発生し6人が亡くなられました。この感染事例ではヒトヒト感染が初めて確認されています。

 周知のように、今年の8月には、世界中の人々が集まるスポーツの祭典である北京オリンピックが予定されています。

 世界中の若者が、スポーツを通して交流できるすばらしい機会ですが、新型インフルエンザにとっては、ヒトへの感染力の強いソ連型ウイルスとヒト上気道への感染力をもつ強毒性の鳥インフルエンザウイルスが交雑する機会でもあるわけです。

 最悪のシナリオはオリンピックで誕生したスーパーインフルエンザがまたたくまに世界に拡散することですが、このような悪夢が決して実現しないことを心の底から祈っています。

 慰めになるかどうか分かりませんが、もし万が一、最悪のパンデミックインフルエンザが世界に流行したとしても、それで人類が絶滅することは決してありません。

 なぜなら今から400万年から500万年前に、アフリカの大地溝帯で人類が誕生して以来、それこそ数え切れないくらいの回数、人類は新型インフルエンザウイルスのシャワーを浴び続けてきたと考えられるからです。何の医療技術もなく、栄養や衛生環境も評価できる以前の問題であった人類の黎明期に、いくつもの集団が絶滅したものと想像できます。

 でもそのような果てしない試練を生き延びてきた結果が、私たち現世人類のわけですから、生き延びる可能性は遥かに大きいと思いませんか?

 
 参考文献:『リスクのモノサシ』中谷内一也著 NHKブックス

      『新型インフルエンザ・クライシス』外岡立人 岩波ブックレット№682


    

     


 №12 「マクベスは眠れない」スリープスプリントの話 
2008年1月30日(水)

 シェイクスピアの四大悲劇の中で一番陰惨だと言われています「マクベス」は、三人の魔女の預言に心を惑わされたマクベスが 、スコットランド王を暗殺して王位を奪ったものの、やがて不安と焦燥の中で破綻していく物語です。

 自分の城に宿泊したスコットランド王ダンカンを短剣で刺し殺したマクベスに、罪の意識が叫ばせます。

 マクベス: どこかで声がしたようだった、「もう眠りはないぞ!マクベスが眠りを殺してしまった」とー

 あの穢れのない眠り、もつれた煩いの細糸をしっかりと縒りなおしてくれる眠り、その日その日の生の寂滅、辛い仕事の後の浴み 、傷ついた心の霊薬、自然が供する第二の生命、どんなこの世の酒盛りも、かほどの滋養を供しはしまいにー
 
(新潮文庫 福田恆存訳より引用)

 人はなぜ眠るのでしょうか?また睡眠のメカニズムはどこまで分かっているのでしょうか?

 眠りは意識を生み出す場である大脳皮質と視床の一部の眠りです。視床は脳の中心にある間脳(間脳は視床、視床下部、脳下垂 体からなります。)の一部で、視覚情報や聴覚、触覚、味覚など臭覚を除く五感の情報が身体中から集まり、脳へと伝える感覚の中継センターの役割を果たしています。

 心拍や呼吸、体温調節を司る脳幹や食欲や性欲を生み出す中心である大脳辺縁系(本能を司る動物の脳)は一生眠ることがあり ません。ここで大脳辺縁系とは左右の脳の半球をつなぐ脳梁(のうりょう)を取り囲む部分で、扁桃核(へんとうかく)、帯状回 (たいじょうかい)、海馬(かいば)、脳弓、中隔核などからなっています。

 このうち、扁桃核は外部刺激に対し0.5秒くらいの間にそれが自分にとって好ましいものか、好ましくないものか見分けるとこ ろとされ、快・不快の情動、恐怖感の生まれるところとされています。

 帯状回は、扁桃核で生まれた快や不快の情動や視床下部からの要求を大脳に伝える機能を持ち、人にやる気を起させる「意欲の脳」と呼ばれています。

 さらに海馬は近時記憶を担当する、「脳のメモリーチップ」の役目を果たしていると思われ、ここに蓄えられた記憶(近時記憶 )のうち、印象の強いものが、睡眠中に何度も夢として自動的にリプレイされ、特定の細胞集団の結びつきが強くなり、これが長期記憶として定着していくのだろうと言われています。

 もし何らかの理由から十分な睡眠がとれなかった場合、人は怒りっぽくなり、感情は暴走し、やがて記憶や判断力が損なわれ、幻覚や妄想が現れるようになります。限界的な断眠実験に臨んだ過去の挑戦者は、脳に回復不能なダメージを負ってしまい、人格まで壊れてしまっています。

 眠りを司る脳や体内の仕組みについて、近年、徐々に解明されてきました。

 人は、夜になると自然に眠くなり、朝になると目が覚めます。体温や各種ホルモンなどは時間により変動しますが、このような体内の自然な規則的変化を概日リズム(サーカディアンリズム)と呼びます。概日リズムは体内時計により管理されていると考えられています。

 体内時計は、視床下部にある視交叉上核と呼ばれる部分にあり、24.8時間を基準にして体内の一日を刻んでいるそうです。光などの外部刺激により補正されながら人は24時間を一日として過ごしていますが、洞窟など日光がささない隔絶された環境で寝起きしていると徐々に一日が0.8時間ずつ後方へずれていく性質があります。

  不規則な夜間勤務を強いられる職業の方や夜型の生活を続けている方は、安定した概日リズムが刻めなくなる恐れがあり、体内の色々なホルモン分泌などのリズムが崩れて抑鬱傾向が出てしまう心配があります。
 
 夜になると脳内の松果体から大量のメラトニンというホルモンが分泌され、人をリラックスさせ、体温が下がり眠りを誘っています。朝、日光を見るとその刺激が先ほどの視交叉上核に伝わり、視交叉上核が松果体のメラトニン分泌を抑制し人を目覚めさせます。

 この仕組みを利用する睡眠障害の治療法として朝、強い白色光源を見つめることにより概日リズムを取り戻す方法があります。

 また睡眠は、体内時計だけでなく脳幹網様体により調節されています。

 脳幹(延髄から中脳)には網様体と呼ばれる網目状の神経細胞と神経繊維のネットワークがあり、呼吸と循環を調節し「生命の中枢」と呼ばれるほか覚醒と睡眠にも係わっています。

 脳幹網様体は音や光、臭いなどの感覚刺激を受けて大脳皮質の働きを亢進する脳幹網様体賦活系と、逆に大脳の働きを抑制し眠りを促す脳幹網様体抑制系から構成され意識レベルを調節しています。
 
 睡眠の研究が脳波や眼球運動などの様々な生理的変化を計測することにより行なわれるようになってから、睡眠にはレム睡眠と ノンレム睡眠の2種類があることが分かりました。

 レム睡眠は、眠りながら目をキョロキョロ動かす状態で、急速眼球運動(rapid eye movement)からREM 、レム睡眠(逆説睡眠)と呼ばれ、脳がある程度高い活動状態にあり身体が休んでいる状態です。レム睡眠中は内臓を支配する自律神経系は不安定な状態になると言われています。

 一方、ノンレム睡眠は、レム睡眠以外の睡眠で、脳は休んでいるのですが、身体はある程度筋活動を続けています。ノンレム睡眠の間には自律神経のうち、身体を休息させる働きを持つ副交感神経系が主に働いています。

 もともと動物の進化の過程では、レム睡眠が最初に出現した古い睡眠の型であり、ノンレム睡眠は発達した大脳皮質が休む必要が生まれてから出現した睡眠と言われています。赤ちゃんでは睡眠時間は長く、睡眠中の約半分をレム睡眠が占めますが、成人になるにつれて睡眠時間が短くなり、レム睡眠も急速に減少し、20歳で20%程度になります。お年寄りでは全体の睡眠時間が短くなり眠りが浅くなり、中途覚醒が増えるとともに、レム睡眠がさらに短縮され15%程度になります。

 レム睡眠とノンレム睡眠は90分ごとに交互に現れ、レム睡眠中にはほとんどの時間、夢を見続けます。1回のレム睡眠の時間は10分から30分くらいで、一晩に4~5回夢を見続けているのですが、記憶に残るのは明け方、最後に見た夢のみです。

 夢は海馬に蓄えられた近時記憶を約2年間かけて何回も繰り返すことによって、その記憶に関係する神経ネットワークを強化して長期記憶化する役目をもっているのではないかとされ、レム睡眠が失われると記憶障害が起きてしまいます。

 ノンレム睡眠は、4段階(段階1~段階4)に分けることができますが、眠りの深さは第1段階から徐々に深くなり、第4段階が最も深い眠りになります。第3段階と第4段階を特に深睡眠または徐波睡眠(じょはすいみん)と呼んでいます。

 眠りにつくとまず最初に大脳を休めるノンレム睡眠に入り、睡眠は徐々に深くなり睡眠深度の第4層に達した後、眠りが段階的に浅くなって脳が活動し身体が休むレム睡眠に浮上します。このひとつのサイクルが約90分になります。

 寝る子は育つと言われますが、深睡眠は成長ホルモンの分泌を促し、深部体温や免疫機能とも深い結びつきがある健康のために欠かすことのできない睡眠相と言われ、何かの理由で深睡眠がとれなくなると、例え、睡眠の総時間が変わらなくても生命の維持に重大な影響を与えると言われています。

 この深睡眠を邪魔するのが、睡眠時無呼吸症候群(SAS)であり、肥満や小下顎症、あるいは中枢に病気があるときなどに気道が塞がれるために起こります。ある調査によると、睡眠時無呼吸症候群の患者さんの40%が肥満や糖尿病、高脂血症、高血圧症などのいわゆるメタボリックシンドロームを合併していると言われています。

 睡眠時無呼吸症候群では、動脈硬化が進行するために、狭心症や心筋梗塞、脳梗塞に結びつき、SASと診断された患者さんの10年後の死亡率は50%程度ではないかという研究もあります。

 睡眠時無呼吸症候群の治療には、一般に呼吸器内科が当たり、就寝中に鼻マスクを装着し、そこに加圧した空気を送りこむCPAP療法などが行なわれることが多いのですが、症例によってはスリープスプリントと呼ばれるマウスピースが有効な場合があります。

 スリープスプリントは歯科医院で作成できる装置で、下顎を前方に出すことにより、舌根を前に引き出し気道を拡げて無呼吸を防ぎます。

 作成には呼吸器内科での診断が前提となりますが、原則的に保険診療で対応することができます。

 もし最近、奥様からあなたの息が止まるようないびきがひどくなったと指摘され、毎晩必ずトイレに行くために途中で目が覚めるようになり、良く寝たのに疲れがとれず、日中、眠気が強く、だるい感じが抜けないような気がする場合は、いきつけの歯科医院で相談してSAS治療を行なっている呼吸器内科に紹介状を書いてもらってください。

 夜中にトイレに行く夜間頻尿には、前立腺肥大など様々な原因がありますが、気道が閉塞され胸郭の圧力が下がるために、圧力差から手足の血液が心臓に流れ込み、心房が拡張したために、心房から利尿ホルモンが分泌されることも原因となっています。

 マクベスのように、強い不安や焦燥などがある場合や、うつ状態が進んだために睡眠障害を起している患者さんが歯科診療室を訪れることがめずらしくありません。

 歯科医師は、患者さんの訴える肩こりや頭痛、顎関節症状、原因のはっきりしない難治性の不定愁訴の影に、睡眠障害やうつなど、現代人の心や身体を蝕む様々なストレスが潜んでいる可能性をいつも意識している必要性があります。

 参考文献:

 1.「マクベス」シェイクスピア 福田恆存訳 新潮文庫

 2.「脳科学の進歩 分子から心まで 田中啓治 岡本仁」財団法人 放送大学教育振興会

 3.「好きになる睡眠医学」内田直 講談社サイエンティフィク

 4.「睡眠医歯学の臨床」塩見利明 菊池哲 ㈱ヒョーロン

 



 №11 「補陀落の海へ」 
2008年1月29日(火)

 南の海の彼方には補陀落(ふだらく:Potalakaポータラカ)と呼ばれる真の観音浄土がある‥

 9世紀半ばから18世紀初頭にかけて、西日本各地の海岸から、時折、小さな屋形船に閉じ込められた僧侶が補陀落山(ふだらくせん)を目指して、流されました。この宗教的な自殺行為(捨身)を補陀落渡海と呼びます。

 中でも熊野那智の補陀洛山寺の補陀落船が有名で、61歳になった僧侶は四方に鳥居を備えた渡海船の中に、30日分の食料、水と一緒に閉じ込められ、蓋は釘づけにされて流されました。

 沖の潮に乗るまで、同行(監視人)が同伴し、潮流に流されるのを確認した同行は随伴する船に乗り移って陸に帰ります。

 後はひたすら念仏を唱えているうちに、波に揉まれて海の藻屑となるのを待つわけです。中には補陀落船の戸を蹴破って脱出を試みる者もあったとされ、発見されて同行に殺された僧もいたとされています。(井上靖の「補陀落渡海記」)

 これを崇高な宗教的至高と見るべきかどうかは意見の分かれるところですが、当初は浄土への憧れから行なわれたはずの自発的な捨身が、いつのまにか伝統的慣例として行なわれる宗教行事への人身御供へ変質していったことは、想像に難くありません。

 一度つくられた強力な制度やシステムが、設立時に描かれた理想や目的が忘れ去られたまま、いつのまにか制度やシステムそのものの存続自体が至上命題となっている例は、歴史上めずらしくありません。

 時代の変化やパラダイムシフトに対応できないままに巨大な構造だけがきしみながら動いている姿が、日本の行財政システムであり、政治システムであり、教育システム、医療システムです。

 少子高齢化と格差社会に苦しむ我国は、現在、増大する社会保障と先送りされてきた財政赤字のつけに苦しんでいます。OECD(経済協力開発機構)の調査では日本の貧困率は先進国中、アメリカに次ぐ2番目で、「一億総中流」の姿は過去の幻にすぎません。

 社会保障は所得の再配分の手段でもあるのですが、経済的成長を犠牲にしないで充分な医療や教育を確保する手段はあるのでしょうか?

 1993年、日本の一人あたりGDPは世界第1位でありましたが、2007年現在18位に低迷しています。現在、一人あたりGDPの高位を占めるのはルクセンブルク、ノルウェー、アイスランド、カタール、スイス、アイルランド、デンマークなどです。

 一般にGDPと国民所得の平等性は相関し、北欧では税金と社会保障費のGDPに占める割合である国民負担率が50~70%と高い(日本は40%程度)にもかかわらず、企業も高い国際競争力を持ち、日本と同様の成熟社会であるのに持続的な経済成長とゆるやかな人口増を達成しています。

 日本が長年追従してきたアメリカ型の市場原理主義、つまり市場経済を最重視し、規制緩和を徹底化することにより、繁栄を勝ち取ろうとするモデルは破綻しているのではないでしょうか。サブプライム問題のように、複雑な金融工学を駆使してまで資本の論理の追及に走るアメリカの姿を見ていると強く感じます。

 今、日本では消費税の増大が避けられない選択として国民の前に提示され、政府もマスコミも消費税やむなしという雰囲気を醸成しています。

 最悪のシナリオは上げた分の消費税が、従来どおりの箱物行政に充当されるだけで、日本が次のステージに這い上がるための未来につながる投資に結びつかない場合です。

 もし消費税を上げるしかないとしたら、社会保障費と教育費以外への支出を法的に規制する必要があるものと思われます。
 つまり年金や医療費は、国民の生存権を守り、出生率の向上に直結するものであるし、教育は国と社会を変える最も効果的、効率的な手段だからです。

 日本のあるべき教育制度については主張したいことがたくさんあるのですが、別の機会に譲ることとして、いくつかの項目だけ挙げておきましょう。

 1.生きる意欲をもたせ、生きる喜びを感じる能力を養う初等教育。

 2.相手を理解し、他者に共感できるコミュニケーション能力を培う教育。

 3.広い視野と独創性や深く考えぬく力をつけることを目的とした教育システム。

 4.自分の考えを社会に効果的に発信し、情報社会から自分を守る術も学ぶ教育。

 5.産業構造の変化に伴い、余剰労働者が無料で再教育を受け、円滑な産業構造転換を促進できるシステム。

 6.個人の習得進度に対応した電子カルテ仕様の完全個別教育カリキュラム。

 7. 大脳生理学や心理学を駆使したエビデンスに基づいた効率的、効果的でなによりも学習意欲を高める魅力的な教育システム。

 8.実践力の習得に特化した大学教育。

 9.良く訓練された専門家によるメンタルサポートシステム。

 10.教育者への不要な文科省、教育委員会、各種団体の介入や政治的圧力を排除し、充分な職能手当てを支給することにより教師の社会的地位を高め、優秀な人材を確保する。教職を魅力ある職業に再生する。(良い先生がいなければ良い教育も生まれません。)

 いずれにしても、これから毎年社会に送り出される平成生まれの成人たちを「平成の補陀落の海へ」葬送するような事態だけは、絶対に避けなければなりません。




  №10 「食育を考える」 
2008年1月28日(月)

  最近、皆さんは「食育」という言葉を聞いたことがありませんか?

 私は初めて「食育」とう言葉を耳にしたとき、少し日本語としてこなれていない単語だなと感じたことを覚えています。

 頭でつくりだした人工的な言葉というか、長い歴史の中で取捨選択されて、打ち寄せる波が岸辺の小石を磨くように、市井の中で揉まれて生き残った言葉はどれも美しく、納得できる必然性を持っているものです。しかし「食育」にはそのような気品が感じられません。

 平成17年6月10日、「食育基本法」が成立しました。

 この法律の目的は、

 『子どもたちが健全な心と身体を培い、未来や国際社会に向かって羽ばたくことができるようにするとともに、すべての国民が心身の健康を確保し、生涯にわたって生き生きと暮らすことができるようにする』ことにあり、子どもたちが豊かな人間性をはぐくみ、生きる力を身に付けていくためには、『何よりも「食」が重要である。今、改めて、食育を、生きる上での基本であって、知育、徳育及び体育の基礎となるべきものと位置付けるとともに、様々な経験を通じて「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てる』ことにあるとしています。

 この他に一般の人々に対しては、食習慣の改善による生活習慣病の改善を図るとするとともに、『豊かな緑と水に恵まれた自然の下で先人からはぐくまれてきた、地域の多様性と豊かな味覚や文化の香りあふれる日本の「食」』を守るために『地産地消(注2)』の推進も謳っています。
 
食習慣だけでなく、『農林漁業に関する体験活動等』も行なうように唱導し、都道府県や市町村は食育推進基本法を作成し、実施するように定めています。

 そして歯科医師に関連する条文である第十一条には、

 『教育並びに保育、介護その他の社会福祉、医療及び保健(以下「教育等」という。)に関する職務に従事する者並びに教育等に関する関係機関及び関係団体(以下「教育関係者等」という。)は、食に関する関心及び理解の増進に果たすべき重要な役割にかんがみ、基本理念にのっとり、あらゆる機会とあらゆる場所を利用して、積極的に食育を推進するよう努めるとともに、他の者の行う食育の推進に関する活動に協力するよう努めるものとする。』としています。

 いささか復古主義的な色彩の強い条文には違いませんが、健康にとって健全な食習慣が大きな意義を持つことに異論はありません。

 昨年、担当する中学校の保健委員会に出席しましたが、その時のテーマがこの『食育について考える』でした。内科医、耳鼻科医、眼科医、歯科医、学校関係者、PTA会長等の皆様が集まり、熱心な討議を行なっていました。

 そこでもお話したことですが、食習慣と歯科疾患や口腔領域の各種器官の健全な成長・発育には密接な関係があります。

 1. むし歯を引き起こす誤った食習慣(特に多発性カリエスやボトルカリエス、哺乳瓶う蝕など)

 2. 歯肉炎や歯周病の原因となる誤った食習慣

 3. 歯並びを悪くする誤った食習慣

 4. 拒食症と歯科医療との関係

 5. 歯科医療の立場から考えた妊産婦の食習慣

 6. 唾液分泌障害と食物摂取の関係について

 7. 嚥下機能の発育と食習慣について

 8. 咀嚼と脳や免疫系との関係 咀嚼と満腹中枢との関係

 9. 食習慣と骨粗鬆症、インプラントとの関係

 10. 食習慣と口内炎の関係

 詳細については以後のブログで適宜紹介していきたいと考えています。

 最後に、『食育』という言葉は1897年(明治30年ころ)、陸軍薬剤監だった石塚左玄氏が「科学的食養法」の中で提唱した造語であると言われています。

 塚薬剤監は『45歳のときに出版した「化学的食養長寿論」の中で、地方に先祖代々伝わってきた伝統的食生活にはそれぞれ意味があり、その土地に行ったらその土地の食生活に学ぶべきであるという「身土不二(しんどふじ)」の原理を発表するとともに、食の栄養、安全、選び方、組み合わせ方の知識とそれに基づく食生活が心身ともに健全な人間をつくるという教育、すなわち『食育』の大事さを説いています。』

 (福井県農林水産部販売開拓課ホームページより転載→ http://info.pref.fukui.jp/hanbai/shokuikuou/ishizuka.html

 その後、政財界の援助により石塚氏の食物養生法を啓蒙する団体として「食養会」が結成され、戦後、「食養会」の流れはマクロビオティックや玄米健康法、有機農法、自然食品業界に伝承したそうです。

 平成14年に自民党の政務調査会に設置された「食育調査会」により「食育」の考え方が再び取り上げられ、その後、平成15年の小泉首相の施政方針演説により一般化して経緯があります。(以上Wikipediaより引用)

 モーリス・メルロー=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty)は「身体図式」の概念の中で、身体は客観的な物体であると同時に主観的な意識でもあるというあいまいな両義性を備えている、つまり意識と肉体は切り離すことのできないものであると言っています。

 健康な生活習慣により、肉体という内部環境を安定させることにより、自分自身のパフォーマンスをより高められる「食育」を歯科医療の立場から推進していく必要があるものと考えます。

 注2:地産地消:農村においては他地域から不足栄養素を多く含む農産物を買い求めるとエンゲル係数の増大を招いてしまうため、地元でそのような農産物を作ろうということで「地産地消」という語が発生しました。
 (注2はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用しました。)



 №9 「地域に戻れ」 2008年1月26日(土)

 名医の中には、その先生の姿を見ただけであるいは声を聞いただけで、患者さんの痛みが軽くなり、気分が楽になる先生がいらっしゃいます。

 またお年寄りの中には大きな手術を前にして、主治医に向かい、「先生が一生懸命やって駄目だったら諦めるから、思う存分やってください。」とまで宣言する人までいらっしゃいます。

 これは患者さんがその先生に全幅の信頼を寄せているからこそ出てくる言葉で、インフォームド・コンセント(informed consent正しい情報が与えられた上での合意。説明と合意。)が基盤に置かれている現代の医療に於いても、信頼は医療の根幹をなす必須の条件であると言えるでしょう。

 かつて歯科医師会では、「一億円闇献金事件:注1」を始めとするいくつかの不祥事により国民に大変なご迷惑をおかけした経緯があります。天の倫理、人の倫理に背く不法な手段を用いてまで、業界の利益を追求しようとした姿に国民の健康へ奉仕する者の姿はなく、同じ歯科医療に携わる者として、慙愧の念に耐えません。

 日頃、地域歯科医療に真摯に取り組んでいる大多数の歯科医師の信頼獲得の努力を無に帰したばかりか、歯科医療に対する信頼を失うことにより患者さん自身が蒙る損失には計り知れないものがあったと思います。

 宇沢弘文先生は、その著書の中で、社会的共通資本としての医療の意義と重要性を強調されています。

 従来行なわれてきた公衆衛生活動を強化するとともに、さらに地域歯科保健を推進する立場から、診療室の中だけでなく、地域住民全体の歯科領域の健康向上に包括的な立場で奉仕することにより、もう一度歯科医療の原点に立ち返ろうとするものです。

 昨年は私も、市民公開講座の講師として初めて市民の方々に「高齢者・寝たきりの方への口腔ケア」について講演する機会を持ちました。当日、集まってくださった方々の大部分は現職の栄養士や看護士さんなど、実際に介護の現場で活躍されている方々が大半でしたが、中には家族の介護をされている一般市民の方々も含まれていました。

 実際に毎日の介護の経験から生まれる疑問には、多々勉強になるところがあり、熱心な皆さんと接する機会を持てたことは、とても有益な体験であったと感じております。

 会員の先生方は日頃、自らの診療室を訪れる患者さんに対して、誠心誠意対応されていますが、地域社会というまた別の視点からの保健活動に汗を流すことにより、医療人の本能と申しますか、根幹の部分を刺激される様子で、実に熱心に取り組まれています。

 直接、診療室の外の社会に触れ、市民の方々の生の反応を知る機会は、ご自身の診療室内での患者さんと歯科医師との関係を再考する上で、計り知れない貴重な経験を当事者にもたらしています。

 築き上げた信頼を失うのは一瞬ですが、新たな信頼を得るためには、不断の努力を一つ一つ積み上げていくしかありません。

 会場で出会った方々の真剣な眼差しを忘れることなく、診療室を訪れてくれる患者さんとの良い関係を築いてきたいと心から願っています。

 (注1:2001年の参院選直前に日本歯科医師連盟から自民党旧橋本派の政治団体「平成研究会」へ行なわれた一億円ヤミ献金事件)





 №8 「歯科医院の上手なかかり方」 
2008年1月25日(金)

 痛くなく、早くて上手で治療費が安く、腕がいい、加えて親切で優しくて、近所にあって、美男あるいは美女の歯医者さんを紹介してほしいと真顔で言われたことがあります。その人は「あと日曜日か夜遅くに診てくれる所がいいわ」とつけ加えてくれました。

一部の人たちはカリスマ美容師みたいな歯医者さんを探しているのですね。

 でもよく考えると、もしそんな条件をパーフェクトに満たす歯科医師あるいは歯科医院があったとしても、決して患者さんの長期的な利益には結びつかないのではないかと思います。

 その理由は三つあります。

1. あなたが望む理想の「かかりつけ歯科医」は早死にする。

 ほとんどの歯科医師が治療に際して患者さんに極力痛みを与えないように注意しています。しかし治療内容によってはわずかな痛みを与えてしまうことがあります。

 私たち歯科医師に必要な第一の能力は患者さんに共感する能力です。患者さんが不安であれば私たちにもその気持ちが伝わり、患者さんがリラックスすれば、やはりその気持ちが伝わり私たちもリラックスします。

 患者さんが痛みを感じれば指先から患者さんの痛みが私たちの心にも伝わり、強いストレスを感じます。少しの痛みを感じさせないだけでも相当な心労がかかり、もし夜間や日曜日の診療も含めて、すべての好ましい条件を満たすような歯科医師がいたとしたら、恐らく患者さんより相当早く死んでしまうでしょう。

 歯科医師の替わりはいくらでもいるかもしれませんが、あなたの気心の知れた「かかりつけ歯科医」は失われます。

2. 病気の治療の主体は患者さん自身である。

 例え、痛くなく、1回または2~3回の治療で患者さんの主訴が取り除かれたとしても、その段階では病気が本当に治っているとは言えません。

 むし歯にしても歯周病にしても、お口の中の病原性をもつ細菌が著しく増えて起こる慢性疾患ですから、正常な細菌叢(フローラ:私たちは生まれた直後から様々な種類の細菌が身近にある環境で生きています。

 外界と触れる皮膚や粘膜の表面には、いつも決まった種類の細菌の集団が寄生していますが、これを正常細菌叢、常在細菌叢または正常フローラと呼びます。)のバランスが崩れた原因である、身体の変化やそれを引き起こした生活習慣を改善しない限り、病気を治したことになりません。

 むし歯を削ってインレー(詰め物)や冠を詰めたり、かぶせたりしても、むし歯の原因になったスポーツドリンクの摂り過ぎや、強すぎる乱暴な歯磨きが改善されない限りすぐに再発してしまいます。

 歯周病にしても、歯磨き(プラークコントロール)の他に、喫煙や糖尿病、貧血、肥満、ストレス、食生活、睡眠、咬み合わせなどが誘因になり、ライフスタイルの総合的な改善が必要です。

 規則的な定期検診を行い、患者さん自身が自分の健康を守れるノウハウを身につけなければ、いつまでたっても応急的な治療を繰り返し受け続けることになり、いつの間にか簡単な治療では対応できない深刻で複雑な病気に進行していきます。

従って単に痛いところや気になるところだけを表面的に治す受診を繰り返しても患者さんの本当の健康の達成には結びつきません。

3. 必要な予約をとれない。

 単純なことですが、人気のある歯科医院ほど、たくさんの患者さんが集中しますから簡単には予約がとれません。また1回の治療に費やせる時間も短くなってしまいます。あるいは経験の浅い代診の先生が担当することがあるかもしれません。

 1ヶ月に1回しか予約の取れない歯科医院に2年間通うのと、1~2週間に1回は予約がとれる医療機関に半年間通院するのとどちらが自分にとっていいのか迷うところです。

 では「上手な歯科医院のかかり方」はあるのでしょうか?

 医院側から見れば、次のような患者さんは本当に助かりますし、最終的には患者さんの利益にもつながるのではないでしょうか。

 ○ こんな患者さんが得をする!

1. 予約をきちんと守る患者さん。
2. 夕方の予約を避け、昼間の予約を選べる患者さん。
3. 治療への希望や基礎疾患や生活習慣を正確に話してくれる患者さん。
4. プラークコントロールに熱心な患者さん。
5. 治療を中断しない患者さん。
6. 定期的に検診に通院する患者さん。

 立場が変われば、見方が変わるのはヘビースモーカーが嫌煙家を「禁煙原理主義者あるいは禁煙ファシスト」と非難する様子を見れば分かります。以上、縷々申し上げた事項は、あくまでも歯科医師側からの偏った見解かもしれません。

患者さんからの真摯なご意見を寄せてくださることを期待しています。





№7   「健康寿命都市宣言」  
2008年1月24日(木)

 かつて「地方の時代」ともてはやされたときもあったのが信じられないくらい、現在中央と地方の格差は家計、財政、教育、医療など多方面に亘って益々開いています。長野県内に於いても温泉街やスキー場などをかかえる市町村の観光収入の落ち込みが目立ち、各自治体とも賢明な再生プランを模索しています。

 長期的な不況に喘ぎ、日本の未来を信じることが困難になった国民の意識はバブル期と様変わりし、癒しや安心を求め、不安の解消を求める動きが世の中を動かしている観があります。
 余暇の選択の幅が広がり、個人の趣味や嗜好が細分化している今、週末に温泉に行くだけで満足する人は減り、スキーやスノーボードも社会のある階層に共通する国民レジャーではなくなってきました。

 一方、世界で最悪の年金制度と逼迫した社会保障のもとで、人々の関心は個人の未来を自衛することに向かい、今や多数の中高年は顔色を変えて健康維持のために努力し、血圧やHbA1c(ヘモグロビン・エィワンシー:グリコヘモグロビン)の値に一喜一憂しています。

 冬期オリンピック以降、私たちの信州はどちらかと言うと元気がなく、いまだ新しい時代への展望が描けていません。しかし長野県民はかけがえのない宝を持っています。周知のように長野県民の費やす医療費は全国でもっとも少なく、平均寿命は長く、周囲には美しい山河を擁しています。この恵まれた環境を県下の各自治体のブランド力向上に結びつけることができれば、新たな力強いムーブメントを起すことができるのではないでしょうか?

 最近、当院を訪れた60代の患者さんで、定年後の5年前、大阪から引っ越してこられた方がいらっしゃいます。この方は糖尿病という持病があるのですが、毎日5時間かけて松本市内の城山公園にある山鳩コースを経由してアルプス公園から芥子坊主山等をウォーキングし、今やすっかり健康体になっています。雪のあるお正月でもラッセルして歩いていらっしゃいますが、まさに健康になるためなら命もいらないという感じがします。



 仮に訓練されたインストラクターを育て、周囲に幾多ある公園やハイキングコースなどを利用して安全で効果的な様々な運動療法を指導し、医師の助けを借りて温泉を利用した温泉医学療法を実施し、食事指導やメンタルヘルスチェック、目的別に焦点を絞った健康診断を行い、自転車道整備を継続し、学校教育でエビデンスに基づいた科学的な食育を推進し、加えて生活の様々な不安や障害の相談を受ける窓口を充実させたらどうでしょうか?

 市民一人ひとりにライフスタイルの健康度を判定する「ヘルシーライフカルテ」を作成し、各医療機関が記録されたカードを参照することにより、その人にあったきめ細かい生活習慣指導が可能になります。
 予防と健康維持への市民一人ひとりの意識改革が進めば、健康を守り新しい病気を予防するために歯科医院を受診する患者さんも増え、歯科医療の新しい姿が展開すると思います。

健康寿命とは心身ともに自立して活動的に生きることができる期間で、あと何年健康な生活ができるかを示すものです。すぐれた平均寿命を達成した県民が次に目指すべきは、より長い健康寿命を達成し、有益な社会参加の期間を長くすることによって長野県、ひいては少子高齢化社会の活性化に結びつけることだと考えます。

是非、各自治体の首長の皆様にご検討していただきたいのが「健康寿命都市宣言」の発令です。今や「箱もの」の時代ではなく人やシステムを育てるソフトパワーの時代であることは明らかではないでしょうか?


№6   「混合診療を考える その3 応病与薬」
  2008年1月23日(水)

 ではもし混合診療が解禁されるとしたら、どのような問題点が挙げられるでしょうか?

 社会政策は光と影、陰と陽、表と裏のようなシンプルな二項対立に還元して語れないことが多く、益々複雑化する現代社会の中に於いては、医療の受益者である国民の立場も様々であれば、そのときの国勢や近未来の日本の展望により議論は混迷していきがちになります。

 しかしここで論拠とすべきは医療が誰のどんな利益を目的に行わるのか、持続可能な医療システムとはどんな姿であるべきか、そしてそれが社会的な倫理に反していないかということになります。

 仏教用語で「応病与薬」とは、相手の苦悩(病)に応じて最もふさわしい法(薬)を与えることを意味しますが、少子高齢化社会に伴う国勢の衰退と格差社会の進行、孤独死や年間自殺者3万人を出す現代日本という病に応じた社会施策を立案する必要があります。

 日本医師会は混合診療に反対する理由として簡単に言えば次の3点を公表されています。

1. 有効性、安全性が認められていない保険外診療を認めることは、患者さんにとってリスクが大きい。
2. 新しい医療技術が保険内診療に入りにくくなる。
3. 所得格差によって受ける医療の内容に差が生じる。つまり命を金で買う状態になり、これは医療が「社会的共通資本」であるという考え方に馴染まない。

 次に厚労省は以下の理由からやはり混合診療に反対しています。

1. 社会保障として必要十分な医療は保険診療として確保することが原則。
2. 特定療養費制度で対応が可能である。
3. 一連の医療行為に対し保険者が医療給付を行なっているので、関連した医療行為に係わる費用を患者さんから貰えば、二重徴収になってしまう。
4. 有効性・安全性が確保できない。
これは私の推測にすぎませんが、他にも下記の理由で反対している可能性があると思います。
5. 競争力のある外国の医薬品や医療機器の解禁が国内メーカーを圧迫する。
6. 混合診療を解禁すれば厚労省の保険医、保健医療機関の許認可権限が阻害される。

 反対に、総合規制改革会議が公表した2007年11月15日の第二次答申案で主張する混合診療を推進する理由は次のとおりです。

1. 「保険診療」に「保険外診療」を併用した途端に、一連の診療行為が、本来の保険診療部分も含めて保険診療としては否定され、全て保険外診療とされることには合理性がない。
2.  いわゆる「混合診療」が解禁されれば、患者がこれまで全額自己負担しなければならなかった高額な高度・先端的医療が、一定の公的保険による手当ての下で受けられるようになるため、「金持ち優遇」どころか、むしろ逆に、受診機会の裾野を拡大し、国民間の所得格差に基づく不公平感は是正される。
3. 現行のままでは、いわゆる「混合診療」を避けるため、例えば本来1回の入院・手術で済むところを保険診療部分と保険外診療部分とに分けて行うなど、あえて診療行為の分断などを行うことにより、患者の身体的・経済的負担を増大させるとともに、こうした非効率な行為が、医療費全体を増大させているとの事実もある。
4. 現行のままでは、海外では広く認められているにもかかわらず、我が国では公的保険の適用外となっている新しい医療技術・サービスに対する医師の積極的取組を阻害し、患者の受診機会を狭め、医療サービスの質の向上を妨げているといった弊害が大きい。

5. 現行の特定療養費制度については、中央社会保険医療協議会などにおける審議において、個別の技術等を対象に承認するやり方では、現場の創意工夫と医療技術の競争を促進しない。

 これらの議論を聞いていると、それぞれが混合診療に賛成、反対している本当の動機を邪推?してしまいます。

 まず医師会ですが、保険診療の埒外に自由診療枠を設けることにより、長期的な歯止めのない歯科医療費低落傾向に苦しむ歯科医療の轍を踏むことを恐れているのが最大の動機と思われます。

 厚労省はやはり国内製薬業界や医療機器業界が外資に駆逐されることを防衛する目的と、薬害エイズや薬害C型肝炎などのような問題が起こる可能性がある余分な責任を負いたくないという動機があるのではないのでしょうか?

 翻って、総合規制改革会議は新規で高度な医療を保険内に入れさせないことにより、なによりも医療費を圧縮したいという気持ちが最大の動機だと思われます。

 ここで考えなければならないのは、目の前で現実に国外で実績のある新薬や一定の評価を得ている治療法が、経済的な理由で使えないばかりにみすみす死んでいかなければならない患者さんに、面と向かって当事者は説明できるかということだと思います。

 「あなたの受けている治療法と保険診療との併用を認めることは、日本の保険制度の運用に問題が生じるから、今回は我慢して死んでください。」と誰が言う資格をもっているのでしょうか?

 理想論から言えば、薬事行政の効率化を図り、国内と海外の新薬承認のタイムラグ(ドラッグラグdrug lag:平均4年間と言われています。) を解消し、新規治療法の安全性や有効性も可及的速やかに確認した上で保険導入を図るのが王道でしょう。しかし行政改革が一向に進まない国である我国で患者さんが待つ時間は永遠とも思えるぐらいに長く、助かる命も助かりません。

 やはり緊急避難的に柔軟な法制度の運用を行った上で、一人を社会全体の利益のために見殺しにしないような温情も行政には必要だと考えます。




№5   「混合診療を考える その2」  
2008年1月22日(火)

 では、現在すでに部分的ながらも実質上の混合診療を行なっている歯科医療分野において、もしこれ以上の混合診療を認めるとしたら現状とどこに違いがでてくるのでしょうか?

 今、考えられるのは主に再生医療分野の新技術と保険診療との併用が展開されるものと思われます。

 この分野での基礎医学的な進捗には目覚しいものがあり、名古屋大学医学部医学研究科頭頸部・感覚器講座 上田 実 教授の発明した技術を元に、乳歯の歯髄などから採取した体性幹細胞を用いて培養骨の製造販売を行うことを目的にした企業「オステオジェネシス」がすでに2001年に神戸に設立されています。(注:現在、オステオジェネシスとアムニオテックが合弁しアルブラスト社になっています。)
この他、日立メディコがやはり上田実先生との共同研究で歯胚を製品化するビジネスに取り組んでいるし、オリンパスやペンタックス、武田薬品等も骨の再生のビジネス化を目指しています。

 先に話題になった山中伸弥・京大教授が世界に先駆けて作り出したips細胞(誘導多能性幹細胞(induced pluripotent stem cell)は患者自身の皮膚細胞に3~4つの遺伝子を注入して、様々な細胞への分化能力も持たせたものですが、胚細胞を使うES細胞と違って倫理的な問題がなく、患者自身の細胞を使用するために拒絶反応の問題もありません。
しかしその臨床応用には5年から10年はまだかかるだろうと言われています。その点、上田教授らが着目する体性幹細胞は分化能力の万能性はないものの、その分、特定臓器細胞への分化を制御してやる必要もないので身体の中で細胞が増殖するためのスペースを提供する効果的な足場(スキャフォールド)の開発などが行なわれれば実用化は早いものと考えられています。

 もし、体性幹細胞(somatic stem cell)から硬い骨を作り出し、それに骨芽細胞を活性化させる因子などを加え、使いやすいスキャフォールドを用いて体内に移植し歯槽骨を自由に作り出すことができれば、顎の骨の吸収した患者さんにも容易にインプラントを埋入して咬む機能を回復することができます。咀嚼能力と脳機能は密接な関係がありますから、その社会的恩恵には大きな期待が寄せられます。

 ただ、もし現状で培養骨の移植が可能になったとしても、一箇所の骨造成に150万円以上の費用が予想されていますので、将来この医療技術が保険内で供給される可能性はまずありません。
このような最先端の歯科治療は現在、高度先進歯科医療として大学病院など専門家や関係審議会で条件を満たしていると認められた病院でのみ行なうことが認められていますが、もし将来、培養骨移植技術のルーティン化が進み、一般の診療所レベルでも実施できるまで一般化してきたとしたら、混合診療の解禁は国民への福音となるでしょう。

 次に、混合診療で考えなければならないものとして、予防医療との連携が挙げられます。

 保険制度は原則として、現在かかっている病気を治すために使われるものであって、これから起こるかもしれない新たな病気を予防するための治療行為には支払われません。従って歯科医療の場合には、病気のないときの検診や専門的機械的歯面清掃などの予防行為は現在保険外の自費診療で行なわれています。(ただし歯周病治療や歯周病治療の後に治癒しない部位の進行を抑制するための管理は1年~2年間認められています。)


医療の流れはCAREからCUREへ、つまり進行を抑制し、治療をするだけでなく、患者さんの生活の質の向上や予防も重視されるようになっています。医療の本質的観点からすれば「上医は病を治し良医は人を治す」、つまり患者さんにライフスタイルを見直させることにより新たな疾病を予防します。

 ひとつの例に過ぎませんが、健康診断で血糖値が高いと言われた人のうち、その後、生活習慣の改善に着手できる人は30%程度に過ぎないと言われています。

 もし生活習慣の改善により重度の糖尿病による腎透析患者が今の半分程度になったら医療費の抑制効果は莫大なものになります。現在日本の腎透析にかかる医療費は1兆3千億円近いですが、平成17年度の歯科診療医療費の総額が2兆5,766億円であることを考えればその効果がいかに大きいものか理解できると思います。

 少ない医療資源をできるだけ有効利用するには予防医学を実際にどれだけ市井に応用できるかにかかっていいます。そうして浮いた医療費をより高度な医療サービスに充当できれば日本の医療が変わっていくことができます。

 北欧の一部の国では実施されていますが、一年に決められた回数の検診を受けた人には報奨金支給か自己負担金の一部軽減が認められています。日本の保険制度にも自費で行なわれる検診やその後の生活習慣の改善プログラムへの参加に何らかのインセンティブ(人の意欲を引き出すために、外部から与える刺激)を設け、保険内診療行為と保険で給付できない予防医療との連携を模索したらどうでしょうか?医療経済の本質的な効率化が図れるのではと考えております。

 蛇足ですが、現在禁煙指導への給付は医科のみに認められています。しかし本来、歯科医療の現場ほど患者さんの生活習慣改善に威力のある場面はありません。歯周病の最大のリスクファクターが喫煙である以上、禁煙指導が歯科でも認められることを願って止みません。




№4   「混合診療を考える その1」  
2008年1月21日(月)

 昨年の11月7日、東京地裁は「混合診療が保険対象から排除されることを示す規定はなく、法の明文に反する解釈」として「混合診療の一律禁止は違法である」との判断を下しました。

 裁判の原告である清郷伸人さん(60)は2001年1月に腎臓がんのために左の腎臓を摘出し、保険内診療でインターフェロン治療を受けていましたが、同年6月に2箇所の骨転移が発見され、免疫力を高める目的で公的保険外の活性化自己リンパ球移入療法を受けました。

 これはがん細胞を攻撃するTリンパ球を体外でインターロイキン2、抗CD3抗体により活性化し、約1000倍に培養した後、体内に戻す非特異的細胞免疫療法で、幸い病状の進行を停止させることができました。

 しかし2005年10月、医師から「国の禁じている混合診療にあたるため、同療法をそれ以上続けられない」と宣告され、2006年3月に「混合診療の保険給付禁止は違法」として提訴しました。相談したすべての弁護士からは断られ、一人で法律の知識を学んでの挑戦でした。

 混合診療というのは、健康保険の範囲内の治療と保険で支給されない保険外治療(自費治療)を併用することを意味します。もし混合診療を受けた場合、その病気に関する保険診療分の治療費全額を初診日まで戻ってすべて患者さんが負担するように厚労省が指導しています。

 日本医師会と厚労省は混合診療解禁に反対していますが、歯科医療では従来、例外的に部分的な混合診療が行なわれています。(医科でも差額ベッドが混合診療にあたります。)

 つまり根の治療までは保険内診療で行った場合でも、上にかぶせる冠が保険外の冠の場合、土台と冠が自費診療であっても問題とされていません。これは歯科医療の場合、セラミックスクラウン(陶器でできた冠)など審美性を追及し、高価な材料を使う治療法がもともと保険給付されていない事情があると思います。治療途中で1本の前歯だけをきれいな冠にしたいと患者さんが考えたとき、歯周病治療やむし歯治療などお口の中のすべて歯の歯科治療費を初診にまで戻って、患者さんの負担とするようにしたら事実上、日本国内で陶器の冠を入れられる人はほとんどいなくなり、とても現実的な運用とは言えません。

 医科と歯科では歴史的に混合診療に対する立場が異なるのが現実です。



№3   「力を抜いて楽に生きる
  2008年1月19日(土)

 ほとんどの宗教は唯心論的な考え、つまり外界は意識の生み出す仮の姿であるとするか、または精神と物質の二元論的な立場をとっています。一方、医学は心の働きも神経伝達物質の作用で生まれる物理現象であり、意識も科学的に記述できると考えます。両者とも世界の一端を反対側から捉えているだけかもしれません。歯を失う原因のひとつとしてストレスが挙げられますが、患者さんの苦しみを取り除くためには、この両側からのアプローチを組み合わせて活用することになります。
仏教では人生は四苦八苦(生、老、病、死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦)そのものであり、自分の煩悩や執着が渇愛となって苦しみの原因をつくると考え、渇愛を捨て去る心の持ち方ですべての苦悩は消滅すると説きます。

 医学的にはリストラやいじめ、過重労働など自分の生存を脅かす情報は大脳皮質や視床で処理された後、大脳辺縁系と呼ばれる脳のシステムに伝えられ、この中のアーモンドの形をした1cmくらいの神経細胞の塊である扁桃体が瞬間的にその刺激が自分にとって好ましいものか好ましくないものか判断して身体にストレス反応を起させます。

 つまりストレスは脳が認識してつくり出すものなので、ある人がストレスとして感じない情報でも別の人では強いストレスとして受け止め、過剰なストレスが長期間続く場合は頭痛、肩こり、胃潰瘍、血圧上昇、糖尿病、動脈硬化の進行など様々な病気が引き起こされます。歯科診療室を訪れる患者さんを見ていると、強いストレスや睡眠障害と慢性的な歯の痛みや顎の痛み、唾液の分泌障害などの間に関連が認められます。

 しっかりとした治療を受けたのに、なかなか顎の痛みがとれない、肩こりがひどく頭痛もする、たくさんの歯が知覚過敏でしみる、特別な原因がないのに口が渇く、夜眠れないし途中で目が覚めてしまう、なんとなくやる気がでない、これらの症状に悩んでいる方は、一度自身が強い慢性的なストレスに曝されていないかどうか人生を立ち止まって考えてみることも役に立つかもしれません




№2
 歯科衛生士というお仕事」 2008年1月18日(金)

 歯科医院を受診すると白衣を着た女性がにこやかに迎えてくれます。たいていの場合、その人は女性の歯科医師であるか、歯科衛生士であるか、歯科助手のいずれかに該当します。(他には予約や会計を担当する医療秘書である場合や歯科技工士の場合もあります。)細やかな心遣いと優しい態度で不安を取り除き、親身になって心配してくれるスタッフが居ると、どんなにか患者さんは救われることでしょう。

 歯科治療を受けることが大好きという方はあまりいらっしゃいません。それどころか4~5歳のときに非常に痛い思いをして以来、大人になっても歯科治療が苦手なまま、多少気になる症状はあっても、つい歯科医院へ行くことを躊躇してしまう方がたくさんいらっしゃいます。中にはどうしても恐怖感が先に立ち、待合室に入っただけで泣いてしまう方や(大人でも)、金属の治療器具が歯に触れただけで失神しそうになる方や、頭では分っているのに身体が竦んでしまい、どうしても口を大きく開けられない方がいます。ボディービルダーやプロレスラーのような筋肉隆々とした外見にも係わらず、注射がまったく駄目な人や、不安や恐怖感が引き金となって強い吐き気が起きるためにレントゲンフィルムを口の中に入れられない人など、百人の人がいれば百種類の歯科恐怖症の形があります。

 でももしその場面にプロフェッショナルな技能とやさしさを兼ね備えたスタッフがいれば、今まで泣いてばかりいた子供が頑張って口を開け、気難しく怖い社長さんや部長さんも一生懸命プラークコントロールをしてきてくれます。

 歯科診療を支えてくれるスタッフはどの職種も欠かすことのできない大切な役割を果たしていますが、その中でも歯周病治療などに不可欠な存在が歯科衛生士さんです。

 歯科衛生士は歯科衛生士法に基づく国家資格を有する歯科治療の専門家で2年間または3年間の専門教育を受けています。現代の歯科医療を成功させるには、予防歯科と歯科保険指導の専門家である歯科衛生士さんの存在が欠かすことができません。

 今、この大切な歯科衛生士さんが大幅に不足しています。
やりがいのある仕事を求めていらっしゃる女性は、この歯科衛生士という職業にチャレンジしてみませんか?また結婚などで一度歯科治療の現場を離れた歯科衛生士の皆さんも再び診療室で活躍してみませんか?


 人と人の係わりから社会を支え、人を癒し、歯科疾患を治す専門職です。





№1「
The resurgence of japan
  2008年1月17日(木)

 2008年初頭から日本株の下げが止まりません。16日の東京株式市場は4日間続落し前日終値比468円12銭(3.35%)安の1万3504円51銭に終わり、サブプライム問題に端を発した国内外の景気減速懸念の強まりを背景にほぼ全面安の展開となっています。本年が後年、日本が転落した最初の年として記録されないことを祈っています。
 一方、中国の昇竜の勢いは留まるところを知らず、過日、香港の有力な経済学者である張五常(チャン・ウーチャン)氏は20年後には中国のGDPが日本の10倍に達するとの予測を発表するなど、彼我の勢いの差は開くばかりです。

 医療サービスの水準は国民所得の大きさに連動しますから、歴史上人類が経験したことのない超高齢化社会に突入した我国に於いて、今後益々拡大していくことが予想される後期高齢者の医療費にどう対応していくのかが懸念されています。
 歯科医療はその他の医療と異なり、後期高齢者では逆に医療費が縮小します。これは50歳以降から始まる歯牙の喪失が年齢とともに徐々に進行し、80歳付近では残存歯が4~5本になり、総義歯の方が増えるからです。歯の本数が減ればQOL(Quality of Lifeクオリティ・オブ・ライフ、ある人がどれだけ人間らしい望み通りの生活を送ることが出来ているかを計るための尺度)は低下しますが、治療対象になる部分もなくなり医療費は不要になるわけです。歯科以外の医療費の大半が75歳以上の人生の終末期に費やされるのに対し、歯科医療費は現役世代である40歳から65歳に費やされます。口腔癌などを除けば、歯科医療に終末医療はありませんから、医療経済の観点から言えば、歯科医療費の大部分は実働世代のために費やされているのが特徴です。従って歯科医療費の必要以上の削減は税収を生み出す勤労世代に直接影響を与えることに財務省は留意していただきたいと思います。
 
 専門家は日本経済の躓きの原因を構造改革の遅れにあるとしていますが、小泉氏の進めた市場原理主義の徹底化を追及すれば本当に日本は再生できるのでしょうか?不要な規制緩和を進め経済のグローバル化に対応できる態勢を整えることは必要でしょうが、私は日本が凋落している一番の原因は日本の国民を守る機能が低下していることにあると考えます。これは防衛費を積み増せということではなく、若者が愛する人と結婚し、安心して子供を産み、愛情をもって子供を育て、均等な機会のもとに十分な教育を受けさせ、未来の可能性を信じ、すべての人が社会とつながりを持ち、自分が見捨てられたと感じない社会機能です。
 少子高齢化を恐れることはない、ゆとりのあるスローライフを送るチャンスと捉えようという見方もありますが、子供を産めない、産みたくない社会構造をこのまま放置していい筈がありません。北欧諸国ではアメリカとは別の観点の高福祉高負担政策が国民の合意を得て展開されていますが、きめ細かい総合的な対策を実施することにより、出生率の下げ止まりに成功していることが参考になるでしょう。いくら構造改革を徹底してある時期、日本経済が再生したとしても、将来消費者や生産者となるべき新しい国民が誕生しない国家が生き延びる未来はありません。
 日本人の智恵を結集し、本当の意味で国民が幸せに生きる社会を創ることが、日本を賦活し、復活させる本道になるものと考えます。
 本年も歯科医療の立場から社会のセーフティーネットの一翼を担う者として国民の健康に奉仕したいと願っています。